発表・掲載日:2004/02/05

真空紫外円偏光二色性測定技術の開発に成功

-交流偏光変調可能な偏光アンジュレータを用いて、従来法の限界を破る世界初の手法を開発-

ポイント

  • 円偏光二色性は生体高分子の立体構造解析法として広く利用されている
  • これまで不可能であった140nmより短波長の真空紫外領域における高感度な円偏光二色性測定が可能になった
  • 交流偏光変調可能な偏光アンジュレータを用いて、従来の波長限界を超える波長領域で、真空紫外円偏光二色性の測定に成功した
  • 生体高分子の立体構造測定や反応機構追跡が可能であり、キラルな医薬品の開発にとって重要な分析技術として期待される


概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)光技術研究部門【部門長 渡辺 正信】は、神戸大学【学長 野上 智行】と共同で、タンパク質を構成するアミノ酸などの生体高分子立体構造測定へ適用するための円偏光二色性測定技術を、140nm(1ナノメートル:10億分の1メートル)より短波長の真空紫外領域で実用化することに世界で初めて成功した。これは産総研独自の交流偏光変調可能な偏光アンジュレータから得られる放射光を利用した画期的成果である。

 本技術によって、従来、不可能であった真空紫外領域における円偏光二色性の測定が可能となり、生体高分子の立体構造決定や、薬害を無くすためのキラル医薬品の開発を加速する技術として期待される。

○ 円偏光二色性は生体高分子の立体構造解析法として広く利用されている。

 円偏光二色性測定は、測定試料の偏光による応答の違いを利用した光学的な測定方法である。円偏光二色性は分子の構造による左右円偏光に対する応答の違いにより生じ、生体高分子の立体構造を敏感に反映したスペクトルを示す。円偏光二色性測定はX線結晶構造解析と並んで生体高分子の立体構造を非経験的に決定する事が出来る重要な構造解析法となっている。実際多くの生体高分子の立体構造が円偏光二色性測定によって決定されてきた。現時点での円偏光二色性測定可能波長領域は、赤外、可視、紫外領域だが、真空紫外領域へと拡張する事が出来れば、今まで測定できていた生体高分子については、より詳細な構造が分かるようになり、更に赤外から紫外領域では測定が出来なかった生体高分子、特にタンパク質を構成するアミノ酸などについては測定が可能になる。

○ これまで不可能であった140nmより短波長の真空紫外領域における高感度な円偏光二色性測定が可能になった。

 水銀ランプやキセノンランプなどの従来の光源を用いた市販の円二色分散計では短波長側190nm程度までしか測定できなかった。そこで、近年では放射光と偏光変調素子を用いて真空紫外領域での円偏光二色性測定が試みられており、放射光を光源とした真空紫外領域での円偏光二色性測定技術の開発が世界中の放射光施設で競って取り組まれている。しかしこれまでの測定法では、偏光変調素子として透過型のフッ化カルシウムやフッ化マグネシウムを使用していたため、原理的には120nm、実用上140nmより短波長の真空紫外領域での測定は不可能であった。
 産総研は、透過型の偏光変調素子を使わずに、光源自体において偏光変調することによる円偏光二色性測定技術を開発し、140nmより短波長の真空紫外領域での円偏光二色性の測定が可能となった。

○ 交流偏光変調可能な偏光アンジュレータを用いて、従来の波長限界を超える波長領域で、真空紫外円偏光二色性スペクトルの測定に成功した。

 産総研では、小型電子蓄積リングTERASにおいて、1986年に他機関にない産総研独自構造の交流偏光変調可能な偏光アンジュレータ(放射光光源装置)を開発している。今回、この偏光アンジュレータを利用することによって、従来の透過型偏光変調素子の波長限界を越える短波長領域において、交流的に偏光変調された放射光を用いた円偏光二色性測定技術を開発し、アミノ酸の真空紫外円偏光二色性測定に成功した。これは、透過型の偏光変調素子を使わずに、光源自体で左右円偏光を交流的に発生させる手法である。今回の手法を用いることにより、現時点で既に従来法の限界を超える130nmまでの波長領域での測定に成功している。また、TERASにおいては40nmまでの波長の交流的に偏光変調された放射光を発生することが可能であり、40nmまでの波長の真空紫外領域での円偏光二色性測定を行えることが確実となった。

○ 生体高分子の立体構造測定や反応機構追跡が可能であり、キラルな医薬品の開発にとって重要な分析技術。

 薬の働きを詳しく理解するためには、まずその薬が働く相手の分子(タンバク質、核酸など)の立体構造および薬の分子の立体構造を詳しく知る必要がある。薬の作用は、受け手になる生体分子と薬の分子の構造によって決まるといって良い。生体高分子の構造解析は、現在主にX線結晶構造解析法で行われているが、試料を単結晶にする必要があり、大きな分子になるほど測定量と計算量が飛躍的に増大するといった難点がある。円偏光二色性測定による構造解析はX線結晶構造解析に比べて少ない労力で測定・解析が出来る上、特定の波長において円偏光二色性強度の時間変化を記録すれば、分子内の特定の構造に注目して経時変化を追跡する事に対応し、反応機構追跡なども可能となる。円偏光二色性測定は生体高分子の立体構造を知るための有力な手段となり、薬害を無くすためのキラル医薬品の開発に寄与できるものと期待されている。

 本研究は、原子力委員会の評価に基づき、文部科学省原子力試験研究費により産総研で実施したものである。



研究の背景・経緯

 円偏光と物質との相互作用の研究は、放射光技術の発展により新たな局面を迎えている。現時点での円偏光二色性測定が可能な波長領域を【図1】に示す。赤外、可視、紫外から始まった円偏光二色性測定は真空紫外領域に次第に拡大しているが、軟X線領域までには大きなギャップがある。【図1】にはタンパク質を構成するアミノ酸の一つであるフェニルアラニンの光吸収スペクトルも示してある。アミノ酸の光吸収の主要な部分が真空紫外領域にあり、この波長領域において主要な円偏光二色性を示すと考えられている。円偏光二色性は分子の立体構造を敏感に反映し、生体高分子の重要な構造解析法となっているX線結晶構造解析と同様に信頼性が高く、これら二つの方法によって得られた結果はお互いに一致している。実際多くの生体高分子の立体構造が円偏光二色性によって決定されてきた。円偏光二色性測定を真空紫外領域へ拡張することが出来れば、高エネルギー遷移に基づいた構造解析が可能となり、生体高分子についてより詳細かつ新規な情報が得られる。円偏光二色性測定による構造解析は試料の結晶化の必要がない上、X線結晶構造解析に比べて少ない労力で測定・解析が出来るため、詳細な構造データが得られていない生体高分子の構造決定にとても有効な方法と考えられている。このため、放射光と透過型偏光変調素子を用いて真空紫外領域での円偏光二色性測定技術の開発が世界中の放射光施設で競って取り組まれている。しかしこれまでの測定法では、円偏光変調素子として透過型のフッ化カルシウムやフッ化マグネシウムを使用しており、140nm以下の波長において急激な屈折率の変動があり、素子の透過波長限界が120nmであるため、原理的には120nm、実用上140nmより短波長の真空紫外領域での測定は不可能である。

従来の手法による円二色性測定可能範囲とタンパク質を構成するアミノ酸の一つであるフェニルアラニンの吸収スペクトルの図
図1 従来の手法による円二色性測定可能範囲(緑色の部分)とタンパク質を構成するアミノ酸の一つであるフェニルアラニンの吸収スペクトル

研究の内容

 産総研では、小型電子蓄積リングTERAS【図2参照】において、1986年に他機関にない産総研独自構造の交流偏光変調可能な偏光アンジュレータ(放射光光源装置)【図3参照】を開発している。今回、この偏光アンジュレータを利用することによって、従来の透過型偏光変調素子の波長限界を越える短波長領域において、交流的に偏光変調された放射光を用いた円偏光二色性測定技術【図4参照】を開発し、タンパク質を構成するアミノ酸の一つであるアラニン薄膜の真空紫外領域における円偏光二色性の測定に成功した。これは、透過型の偏光変調素子を使わずに、光源自体で左右円偏光を交流的に発生させる手法である。

 今回はTERASの蓄積電子エネルギー400MeV(メガ電子ボルト)で測定を行い、従来法の限界を超える130nmまでの波長での測定に成功している。多くの放射光共同利用実験施設では、蓄積電子エネルギーを固定したいくつかの運転モードに限定して運転されている上、偏光アンジュレータからの放射光は、蓄積電子エネルギーが固定されているため、アンジュレータ光で利用できる範囲の波長が極めて狭い範囲に限定されているのが現状である。産総研のTERASでは、実験の目的に応じて蓄積電子エネルギーや電子ビームの軌道を自在に変えることが出来るシステム構築を行い【図2参照】、300MeV~800MeVまでのエネルギー範囲で蓄積電子エネルギーを変える事が出来る。蓄積電子エネルギーを上げればより短波長のアンジュレータ光が発生し、TERASにおいては40nmまでの交流的に偏光変調された放射光を発生することが可能であり、40nmまでの真空紫外領域での円偏光二色性測定を行えることが確実となった。

 生体高分子の基本構成要素であるアミノ酸や糖では、主に波長200nmから10nmの真空紫外領域の光と強く相互作用するため、これにより測定対象となる生体高分子の種類は劇的に増加し、生命科学分野に革新的な進歩をもたらすものと期待される。

産総研電子蓄積リングTERASと偏光アンジュレータビームラインの図
図2 産総研電子蓄積リングTERASと偏光アンジュレータビームライン
電子蓄積リング、アンジュレータ、ビームライン光学系、実験計測系がネットワークで結ばれたコンピュータにより系統的に制御されるシステムが構築されている。
 
従来のアンジュレータの図
従来のアンジュレータ
永久磁石を極性を変えて並べて電子ビーム軌道上に振動磁場を発生させるようにしたもの。通過した高エネルギー電子は蛇行運動をし、電子ビーム方向に強い放射光を発生する。
 
偏光アンジュレータの磁石配置の図
偏光アンジュレータの磁石配置
二つのアンジュレータを直交させて配置し、お互いの位相を変える事により螺旋磁場を発生させる。

TERASに挿入された偏光アンジュレータの写真
TERASに挿入された偏光アンジュレータ
   全長 320mm
   磁場周期長 80mm
   周期数 4
   磁石材質 Nd-Fe-B合金
図3 偏光アンジュレータは永久磁石を多数配列したもので電子ビーム軌道上に直線振動磁場や螺旋磁場を自在に発生させる装置である。
螺旋磁場中を通過した電子は螺旋運動し円偏光を発生する。
 
偏光アンジュレータで発生した交流偏光変調放射光を鏡で集光し、分光器で単色化した後、試料に入射する概要図
図4 偏光アンジュレータで発生した交流偏光変調放射光を鏡で集光し、分光器で単色化した後、試料に入射する。試料を透過した光は光電子増倍管で電気信号に変えられ、ロックインアンプで信号の交流成分(偏光による吸収の差分)が高感度増幅される。

今後の予定

 生物をアミノ酸や核酸といった分子のレベルで見ると非対称である。この非対称性は、薬の効果や食物の味や香りの違いとして現れる。薬の働きを詳しく理解するためには、その薬が働く生体高分子(タンバク質、核酸など)と薬の分子の立体構造を詳しく知る必要がある。真空紫外円偏光二色性は生体高分子の立体構造を知るための有力な手段となり、この基礎知識は薬の働きを理解する上で非常に重要であり、キラル医薬品の開発にとって重要な分析技術になると期待される。また、本測定法は、生体高分子だけでなく、磁性材料など他分野の材料分析にも有効であると考えられることから、これらの材料開発にも応用が可能であると考えられる。さらに、真空紫外線は物質との相互作用が最も大きく、最も浅い侵入深さで、激しく物質を加工できるので、円偏光加工、円偏光書き込みという新しい可能性を開くものと期待される。



用語の説明

◆アミノ酸
タンパク質は、細胞の中に最も多量に含まれる有機物で、生命現象の実際の担い手であると言える。タンパク質は20種のα-アミノ酸からなっている。α-アミノ酸は不斉炭素原子にアミノ基、カルボキシル基、水素原子、側鎖が結合している。20種のアミノ酸すべてで側鎖が異なる。L-アミノ酸とD-アミノ酸はお互いに鏡像の関係になっている。ちょうど右手と左手の関係である。私たちの体の中で働くのは、すべてL-アミノ酸だけである。[参照元へ戻る]
◆生体高分子
生体を構成している、タンパク質、核酸、多糖類などの高分子化合物。炭素骨格をもつ分子で、構成する元素は、炭素、水素、酸素、窒素、硫黄、リンなどを含めてわずか数種類であるが、その数は非常に多く、立体構造の違いによりさまざまな生理機能を持つものが多い。[参照元へ戻る]
◆立体構造
分子の三次元的な形状や原子の配列順序を分子の立体構造という。生体高分子には、同じ数と種類の原子で構成されていながら、それら原子や原子団の配列順序や空間的配列が異なっているため、物理的、化学的性質が異なるいろいろな分子が数多く存在する。[参照元へ戻る]
◆真空紫外
可視光のうち、波長の短い方の光は紫に見えるが、これよりさらに波長が短く人間の目に見えない光を紫外線という。紫外線のうち200nmより短い波長の光は、大気中では空気分子に吸収されてしまうため、実験で用いるには真空にしなくてはならないことから真空紫外と呼ばれる。真空紫外の波長領域は200~10nm程度でそれより波長の短い光は軟X線と呼ばれる。[参照元へ戻る]
◆円偏光二色性
物質に光を照射したとき、入射光が右回り円偏光、左回り円偏光のいずれであるかによって光に対する応答が異なる現象を円偏光二色性と言う。物質の結晶構造や分子構造に右手と左手の関係のような鏡像関係が含まれている場合、左右円偏光に対してそれぞれ異なった屈折率を示すと同時に左右の円偏光に対する吸光度にも違いがある。この原理を利用した、分子構造解析法として利用されている。[参照元へ戻る]
◆偏光アンジュレータ
アンジュレータは電子シンクロトロンに挿入して利用する放射光光源装置の一種で、従来の放射光に比べて格段に強度が強く、特に偏光アンジュレータと呼ばれるものは、光の偏光を自在に変えることが出来る。光は互いに直交する振動電場と振動磁場からなる電磁波である。普通の光源から出た光は振動面があらゆる方向を向いた波の集まりである。ある一定の方向に振動している光を偏光という。振動面がある面上にのっているものを直線偏光と言い、光の進行方向から眺めてみると電場ベクトルの先端が直線振動している。お互いに直交し、位相が90度だけずれた二つの直線偏光を重ねあわせると、合成された電場ベクトルの先端は螺旋を描く。この様な光を円偏光と呼び、光源に向かって眺めたとき、時計回りになる時右回り円偏光、反時計回りになるものを左回り円偏光と呼ぶ。[参照元へ戻る]
◆放射光
円周状の軌道に沿って電子を何回もまわして、光速度近くまで加速する加速器が電子シンクロトロンで、軌道上で電子の方向が曲がる所から強い光が出る。これが放射光で、この光に含まれる紫外線やX線の強度は非常に強いので、紫外やX線を用いる実験のための光源として有用である。[参照元へ戻る]
◆キラル医薬品
アミノ酸にはL-体(左手型)とD-体(右手型)の二つの型がある。L-体とD-体は全く同じ原子で出来ているが、お互いに鏡像関係になる構造をしている。地球上の生物のアミノ酸はすべてL-体のみで形成されている。私たちの体の中で働くのは全てL-アミノ酸だけであるため、医薬品の多くの体の中で働く分子は鏡像体の一方で、一方は全く薬としての働きをしない事が多い。そればかりか毒として働く事がある。一方の型のみを合成した医薬品をキラル医薬品とよぶ。社会問題となったサリドマイドの薬害が一方の型に起因している事が報告されてから、キラル医薬品の効率的合成法の確立が求められてきた。[参照元へ戻る]
◆X線結晶構造解析
単結晶に X 線を照射すると3次元の回折斑点が得られる。その位置と強度から結晶中での分子の3次元構造を解析することができる。X 線を用いて結晶になった物質の分子の立体構造を決める方法をX線結晶構造解析と言う。結晶を回転させながら何枚も写真を撮り、回折点の強度を測ることにより、データ測定を行う。測定したデータをコンピュータで計算、解析することにより、結晶中の原子レベルでの構造を決定することができる。試料は単結晶にする必要があり、大きな分子になるほど測定量と計算量が飛躍的に増大する。[参照元へ戻る]
◆円二色分散計
円偏光二色性は分子の立体構造に関する情報を含んでいる。この現象を観測するのに用いられる装置が円二色分散計である。通常はキセノンランプからの光を分光すると同時にプリズムを用いて直線偏光にし、この直線偏光を左右円偏光に変調するために偏光変調素子に導き、左右円偏光を交互に作り出し、試料に照射する。[参照元へ戻る]
◆偏光変調素子
石英やフッ化カルシウム、フッ化マグネシウムなどの等方性の透明物質に水晶の圧電振動子を貼付けたもので、圧電素子に高周波の電圧を加えると、音響振動の定在波が出来、透明物質に振動する一軸異方性が生じる。その結果、透明物質に直線偏光を透過させると、左右円偏光に変調される。[参照元へ戻る]
◆小型電子蓄積リングTERAS
産総研が有する電子加速器群(リニアック:TELLと3つの電子蓄積リング群)のうちの一つの電子蓄積リング。電子蓄積リングとは、ステンレスなどの密閉容器内を超高真空状態にし、かつ、適当な電磁場を作用させることによって、容器内部を電子が長時間周回できるようにした装置である。1981年に建設されて以来、放射光利用、偏光アンジュレータ開発、自由電子レーザー開発、レーザーコンプトン散乱実験などに利用されてきた。[参照元へ戻る]
◆蓄積電子エネルギー
電子シンクロトロンを周回している電子の運動エネルギー。産総研の小型電子蓄積リングTERASの蓄積電子エネルギーは、300~800MeV( 3 ~ 8億電子ボルト)の範囲で変える事が出来る。蓄積電子エネルギーを上げると、発生するアンジュレータ光の波長は短くなる。[参照元へ戻る]
◆電子ボルト
真空中で1ボルトの電位差を通過した電子の得た運動エネルギー。加速器で得られる電子のエネルギーは、電子ボルト単位で表され、100万電子ボルトを MeV(メガ電子ボルト)と略記する。[参照元へ戻る]


お問い合わせ

お問い合わせフォーム