独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)人間福祉医工学研究部門【部門長 斎田 真也】は、映像酔いや3D映像による眼精疲労、光過敏性発作(PSE:Photo Sensitive Epilepsy)など映像の生体に与える影響を評価する手法の研究開発とその標準化を目的として、経済産業省の基準認証研究開発事業「映像の生体安全性評価法の標準化」を、今年度より3年間の予定で、受託し実施する。
本事業では、映像の生体に与える影響を心理的側面と生理的側面との両面から総合的に評価する手法を開発するとともに、その成果を踏まえて、国際標準化機構(ISO:International Organization for Standardization)に対し、映像の生体安全性評価法についての国際標準案を提案し、国際規格(IS:International Standard)としての実現を目標とする。こうした活動は、だれもが安心してTVゲームやアニメーション、映画などの映像を安全に楽しむ事ができる環境を実現するとともに、日本が国際的にも競争力のある映像メディア産業の健全な発展を支援するという点でも、極めて重要な意味をもつ。
産総研では2003年11月に、「産総研工業標準化ポリシー」を制定し、本事業をはじめとした工業標準化への取り組み強化を図っているところである。
情報通信技術の発展に伴って映像メディア産業が進展する一方、映像の生体に及ぼす影響が世界的問題となっている。過去に公式に報告された事例として、英国では、1993年にTVコマーシャルで3名が光過敏性発作を発症している。また、1997年には日本において、TVアニメーションを視聴していた子供など約700名がPSEを発症し、病院で治療を受けた(いわゆるポケモン事例)。さらに、今年7月には、同じく日本において、授業中に家庭用ビデオカメラの映像を視聴していた中学生約300名のうち、36名が映像酔いの症状を呈し、病院で手当を受ける事例が発生した。これら公式に報告された事例以外にも、「特定の映画では映像酔いが生じやすい」、「3D映像による眼精疲労を経験した」などの話は一般的によく聞かれている。今後、映像技術の発達とともに、一般家庭でも大画面で高精細な映像視聴環境が普及することが予想され、TVゲームやアニメーション、映画などさまざまな種類の映像が一般に浸透しつつある現状では、映像の生体安全性評価法を早急に確立する必要がある。
こうした中で、テレビ放送を対象として、PSE予防の立場から映像の生体安全性評価法についての規格作りが行われてきている。まず英国において、1993年のPSEの発症事例を受けて、1994年に英国民放団体である独立TV委員会(ITC:Independent Television Commission)により、映像の安全性に関するガイドラインが制定された。また日本においては、1998年に、(社)日本民間放送連盟より「アニメーション等の映像手法に関するガイドライン」が制定されている。さらに国際的には、2001年9月に国際電気通信連合無線通信部門(ITU-R:International Telecommunication Union - Radiocommunication sector)において映像の安全性が問題提起され、2003年3月に英国ITCのガイドラインに基づいた新勧告草案が作成された。現在規格作りの進められているPSE予防の立場からの映像の生体安全性評価法については、今後テレビ放送以外の異なる映像メディアを統一した規格作りが求められる。
これに対し、映像酔いや3D映像による眼精疲労の予防の立場からの映像の生体安全性評価法についての規格作りはほとんど手が付けられていない。潜在的なPSE発症の危険性を有している人は、人口4,000人あたり1人の割合(0.025%)と言われるのに対し、映像酔いは、いわゆる乗り物酔いについての知見や今年7月の国内での映像酔い事例などをもとにすると、少なくとも人口の10%程度が影響されると考えられ、対象人口のより大きい映像酔いや3D映像による眼精疲労に対する映像の生体安全性評価法についての早急な規格作りが望まれている。
日本国内では、過去7年間にわたり、(財)機械システム振興協会および、(社)電子情報技術産業協会の委託事業として「映像デジタルコンテンツ評価システムの開発に関するフィージビリティスタディ」(以下、「映像生体影響プロジェクト」という)が推進され、産総研もこれに参画してきた。映像生体影響プロジェクトでは、PSEや映像酔い、3D映像による眼精疲労など、映像の生体に与える影響を客観的に測定する手法についての研究が行われ、多くの知見の集積や「三次元映像に関するガイドライン試案」などの提案が行われてきた。
産総研では、これらの成果を踏まえて、今回の基準認証研究開発事業を受託するとともに、すでに2002年6月に国際標準化機構消費者政策委員会(ISO COPOLCO:Committee on Consumer Policy)に対して、PSE、映像酔い、3D映像による眼精疲労等を含めた総合的な映像の安全基準の国際規格作りを提案し、また2003年11月にISO COPOLCOに対して国際規格案としてのIWA(International Workshop Agreement)の策定を提案している。
映像の生体安全性について、PSEはその症状の特性から脳波などの生理的データが収集され検討されてきた。しかし、映像酔いや3D映像による眼精疲労は、視聴者本人の主観的側面を伴うため、この心理的影響と心拍、血圧、瞳孔反応などの生理的影響との両者を計測することで、より精度良く生体安全性を明らかにすることが重要である。
そこで、基準認証研究開発事業「映像の生体安全性評価法の標準化」では、まず、映像の生理的影響および心理的影響を予測する手法を検討し、これに基づいて映像の生体安全性の総合的な評価手法を確立する。そのために、以下の2つの課題について取り組むものとする。
・映像の物理的特性と生理的・心理的な生体影響との相関解析
・映像の物理的特性に基づく生体影響予測と安全性の総合評価
I. 映像の物理的特性と生理的・心理的な生体影響との相関解析
映像の生体影響について、映像生体影響プロジェクトや他の研究者らによって得られた知見に加え、生理的側面と心理的側面との両面から、新たなデータ収集を行い、映像の物理的特性との相関を明らかにする【図1参照】。
(1)映像の生理的影響データ収集
これまでに、映像生体影響プロジェクトなどで、脳波や心拍・血圧・瞳孔等の自律神経反応を計測し、これらのデータを用いた生理指標を映像評価に利用することが提案されている。本事業では、多くの被験者について、これらの生理的影響データを収集し、映像の物理的特性と生理的影響データとの関係を明らかにすることで、生理指標の映像評価に対する有効性を明確にする。
具体的研究開発課題として、(a)PSEを誘発する光点滅刺激や幾何学模様の物理的特性と脳波との関係に関する臨床データを収集し、脳波データに基づくPSE評価の有効性を確認すること、(b)映像を視聴した時の心拍や血圧、瞳孔の反応を、映像酔いを生じやすい人とそうでない人との間での比較や、映像自体の映像酔いのしやすさの程度による比較を行うことで、これら心拍や血圧、瞳孔反応データに基づく映像酔い評価の有効性を確認すること、(c)3D映像を視聴した時の心拍や血圧、瞳孔の反応を、眼精疲労を生じやすい人別に、また眼精疲労を生じやすい映像ごとに比較することで、これら心拍や血圧、瞳孔反応データに基づく3D映像による眼精疲労評価の有効性を確認することなどがある。
(2)映像の心理的影響データ収集
映像視聴による心理的影響としては、映像生体影響プロジェクトなどで、主観評価に加え、映像酔いに対しては身体動揺と眼球運動、3D映像による眼精疲労については眼球運動などの計測値を基に評価する手法が提案されているが、その有効性については明確ではなく、比較的検討が遅れているのが現状である。そこで、本事業では、多くの被験者についてこれらの心理的影響データを収集し、映像の動き成分、ちらつき、3次元情報成分などの物理的特性と心理的影響の各データ項目との関係を明らかにすることで、心理的影響データの映像評価に対する有効性を明確にする。
具体的研究開発課題として(a)映像を視聴した時の映像酔いについての主観評価値や身体動揺、眼球運動の特性を、映像酔いを生じやすい人とそうでない人との間での比較や、映像自体の映像酔いのしやすさの程度による比較を行うことで、これらの心理的影響データに基づく映像酔い評価の有効性を確認すること、(b)3D映像を視聴した時の主観評価値や眼球運動の特性を、眼精疲労を生じやすい人別に、また眼精疲労を生じやすい映像ごとに比較することで、これらの心理的影響データに基づく3D映像による眼精疲労評価の有効性を確認することなどがある。
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図1 映像の物理的特性と生理的および心理的生体影響との関係を明らかにする
映像の物理的特性は、映像分析により抽出し、生体影響は、脳波、心拍、血圧、瞳孔変化などの生理的影響と、主観評価、眼球運動、身体動揺などの心理的影響とを測定する。さらに物理的特性と生体影響との相関分析を行うことにより、両者の関係を明らかにする。
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II. 映像の物理的特性に基づく生体影響予測と安全性の総合評価
任意の映像の物理的特性から、生体影響について生理的影響と心理的影響とを予測することで、映像の生体安全性についての総合的評価を行う手法を開発する【図2参照】。
上述の映像の生理的・心理的な生体影響のデータ収集により、映像の物理的特性と生理的および心理的生体影響との関係を明らかにすることで、任意の映像の物理的特性から生体影響について、生理的影響と心理的影響とを予測することが可能となる。そこで、これらの予測に基づいて、映像の生体安全性について総合的に評価し、その影響度を最終的には、数段階のクラス分けを行うことで実施する手法を提案する。
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図2 映像の物理的特性から生理的および心理的生体影響を予測し、総合評価を行う
映像の生理的・心理的な生体影響のデータ収集によって明らかにする映像の物理的特性と生体影響との関係により、任意の映像の物理的特性を分析・抽出することで、まず生理的および心理的生体影響を予測する。さらにこれらの予測に基づき、映像の生体安全性についての総合的評価を行い、その影響度を数段階のクラス分けによって表示する。
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映像の生体安全性については、(i)視聴者の要因、(ii)映像内容の要因、(iii)映像提示法の要因を考える必要がある。現在までに進められているPSEを対象とする規格作りについては、(ii)についてテレビ映像のみを対象としているが、TVゲーム、アニメーション、映画などさまざまなメディアを対象として、映像の生体安全性を考える必要がある。そのためにも、統一された評価法についての規格が必要である。
本事業を推進し、国際規格化が実現されることにより、映像の視聴者は、各々の映像について生体安全性の評価に基づくクラス分けをもとに、自ら視聴したい映像を選択することが可能となるが、その際に、TVゲームやアニメーション、映画などの異なるタイプの映像に対しても、生体安全性についての統一されたクラス分けがあれば、視聴者は同じ基準で視聴したい映像を選択し、これを楽しむことが可能となる。
さらに、国際規格化により統一された映像の生体安全性評価手法の存在は、映像制作現場での映像の生体安全性の容易な判断が可能となり、日本が国際的にも競争力のある映像メディア産業の健全な発展を支援するという点でも、極めて重要な意味をもつ。
当面は、映像の生体安全性評価法の国際標準案の提案に向けて、必要なデータの収集と評価方法についての研究を行い、来年度後半に、国際ワークショップの開催と、その場において国際標準化機構に対する国際規格案としてのIWA(International Workshop Agreement)の策定を行う予定である。さらに最長6年をめどに、この国際規格案をもとに、国際規格への提案を行う。