独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)エレクトロニクス研究部門【部門長 伊藤 順司】は、世界最高温度で機能する強磁性半導体(Zn,Cr)Teの合成に成功した。従来は-100℃以下に限られていた強磁性の発現温度領域を、一気に室温の+27℃(300K)までに高めた。 応用のために重要な半導体的な電気伝導特性も見出した。またこの材料は光デバイスへの応用に適したII-VI族半導体系では初めての強磁性材料である。
強磁性半導体新材料の開発競争は、現在世界的な過熱状態にある。特に、2000年から2001年にかけて室温強磁性を主張する半導体新物質の報告が相次いだ。しかしこれらの新物質のいずれもが、その後、否定されたり、疑義をいだかれたりで、現在まで室温強磁性半導体の確証を持つ物質は存在しなかった。産総研は、強磁性半導体の最大の特徴である磁気的機能と半導体的機能の相互作用を、独自の磁気円二色性(MCD)分光法により検出し、(Zn,Cr)Teが真性の強磁性半導体であることの確証を得た。
室温で強磁性を示す半導体新材料の発見は、従来全く別々に開発されてきた磁性体デバイスと半導体デバイスの融合を可能にさせるものであり、強磁性体のメモリ機能を持つ新しい電気・光信号処理機能半導体素子(スピントロニクス機能素子)の実現に道筋を開くものである。現在の不揮発性磁気メモリ(MRAM)のような記憶部と素子選択機能の分離が必要無い超大容量不揮発性メモリ、高機能モバイル機器に必要となる不揮発性論理素子、高速光情報処理用光アイソレータなどへの応用が期待される。
○世界最高温度で強磁性を示す半導体新材料(Zn,Cr)Teを開発。強磁性キューリー温度は+27℃。
II-VI族半導体ZnTeをベースとし、そのZnイオンをCrイオンで20%程度置換することにより、強磁性キューリー温度(Tc)が+27℃(300K)の(Zn,Cr)Te薄膜の合成に成功した。現在までに強磁性半導体であることが確認されているのはIII-V族半導体系の(In,Mn)Asと(Ga,Mn)Asのみであった。その強磁性キューリー温度(Tc)は180K(-93℃)が最高値であった。
○半導体的な電気伝導特性を示す初めての強磁性半導体。
従来の強磁性半導体(In,Mn)Asと(Ga,Mn)Asでは、強磁性を発現するためには多量のキャリアドープが必要なため、その電気的性質は半導体というよりは金属的であり、半導体的な応用が難しいという問題があった。(Zn,Cr)Teの電気伝導は半導体的であり、半導体デバイス実現に不可欠なキャリアドーピングが可能となると期待される。
○可視光を通すワイドギャップ半導体ZnTeを母体とする光学応用に適した材料。
母体のZnTeは、波長550nm以上の黄、赤などの可視光に対して透明なワイドギャップ半導体。(Zn,Cr)Teも光学応用に適した材料として期待される。
○(Zn,Cr)Teが真性の強磁性半導体であることの確実な証拠となる、磁気的機能と半導体的機能の相互作用の検出に成功。
従来の"室温強磁性半導体”が認知されていないのは、強磁性半導体の最大の特徴である、磁気的性質と半導体的性質の間に働く相互作用(sp-d交換相互作用)の存在が全く確認されていなかったためである。今回、産総研では、磁気円二色性(MCD)分光法と呼ばれる独自の手法を用いて、(Zn,Cr)Teにおけるsp-d交換相互作用を検出することに成功した。
今日の情報通信技術は、ハードディスクに代表される磁性デバイス技術と、トランジスタやレーザに代表される半導体デバイスを使用することによって成り立っている。電子のスピンを利用する磁性デバイス技術と、電子の電荷を利用する半導体デバイス技術は、これまで全く別物として開発されてきた。しかしながら、近年それぞれのデバイス技術がその成熟度を高めた結果、技術的シーズの枯渇という壁にぶつかりつつある。この問題を解決し、かつモバイル機器や埋め込み機器が大量に使用される今後のユビキタス社会の新たな利用形態に対するニーズに応えるためには、電子の持つスピンと電荷の二つの自由度の相乗効果を利用する新しいデバイス技術が必要と考えられるようになった。スピントロニクスと呼ばれるこの新しい技術分野からは、既に大容量不揮発性磁気メモリMRAMが産み出されているが、今後のより本格的な発展のためには、強磁性体と半導体の機能を併せ持つ新材料である強磁性半導体の出現が不可欠とされている。磁性半導体とは磁気デバイスの機能を担うスピンと、半導体デバイスの機能を担う電荷が、一つの物質中で、強く影響を及ぼしあう物質である。これにより、電気(光)的な手段で物質の磁気特性を制御したり、その逆に磁場で物質の電気伝導や光学特性を制御することが可能になる。磁性半導体の中でも、磁気的性質が強磁性であるものは、強磁性半導体と呼ばれ、メモリ効果などを有するため応用上特に重要である。現在世界的な規模で、室温で強磁性を示す半導体材料の開発競争が行われている。
強磁性半導体の研究自体は1960年代から行われてきたが、特殊な物質系であったり、極低温でしか強磁性状態を保てないなどのために発展しなかった。最近、再び強磁性半導体に大きな注目が集まるようになったのは、InAsやGaAsなどの実用半導体デバイスに使われているIII-V族半導体をベースとしてその一部をMnイオンで置換した(In,Mn)Asおよび(Ga,Mn)Asにおいて強磁性が発見されたこと(宗片(東工大)、大野(東北大)らによる)や、同じくII-VI族半導体をベースとする(Cd,Mn)Teが強磁性にはならないものの光ネットワーク用の重要な部品として実用化されたことによる。これらの成功に刺激され、ここ数年は、十指に余る多様な”強磁性半導体”新物質が報告されるようになった。しかしながらこれらの”強磁性半導体”の報告は、いずれも磁気特性と結晶構造解析のデータのみに基づくものであり、磁性半導体に期待される肝心の磁性と半導体の相乗効果が観測されていないため、結晶構造解析では検出できない微量な強磁性不純物を高感度な磁気測定で検出しているのではないかとの立場からの反論が相次ぎ、現在まで学会レベルで認知されている物質は全く無く、混沌とした状態となっている。
産総研は、この様な強磁性半導体新材料の開発に伴う困難さを解決する評価手法として磁気円二色性(MCD)分光法を開発した。これは、(強)磁性半導体の最大の特徴であるd-スピンとsp-キャリア(電荷)との相互作用(sp-d交換相互作用)を直接的に検出する新しい手法である。この磁気円二色性(MCD)分光法を幾つかの”強磁性半導体”の評価に適用し、これまでに(In,Mn)Asと(Ga,Mn)Asは本物の強磁性半導体であるが、その他の多くの物質の示す強磁性的な磁気特性は、なんらかの不純物相による可能性が高いことを示してきた。この独自の磁気円二色性(MCD)分光法は、近年、強磁性半導体のもっとも信頼できる判別法として世界的な認知を受けつつある。
このような各種材料の評価と並行して、産総研では独自の磁性半導体新材料の開発を行ってきた。従来の磁性半導体では、母体の半導体物質に置換するイオンとしてはもっぱらMn(マンガン)イオンが用いられていたが、Cr(クロム)イオンに注目した研究を行ってきた。これまでに、(Zn,Cr)Te、(Zn,Cr)Se、(Ga,Cr)Asなどの新物質の合成に次々と成功してきた。これらの成果を元に、産総研の発足に伴い、エレクトロニクス研究部門ではスピントロニクス研究分野を強化したが、その具体策の一つがこの(Zn,Cr)Teにおける強磁性の探求であった。試料作製技術の高度化により、高品質な(Zn,Cr)Teの合成が可能となるとともに、磁気円二色性(MCD)分光法による評価手法を適用することにより、今回の初の室温強磁性半導体の実現という成果に結びついた。
更に結晶成長技術を高度化し、より高い強磁性キューリー温度を実現すると共に、半導体デバイスへの応用に不可欠なキャリアドープ技術を開発する。これにより、光デバイスや不揮発性論理素子の実現を目指す。また (Zn,Cr)Teの強磁性発現機能には基礎科学的な面からの注目も強いため、その解明も行い、その成果を元に更に新しい物質系を開発する。