独立行政法人産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)ナノテクノロジー研究部門【部門長 横山 浩】の 松本 和彦 総括研究員は、科学技術振興事業団【理事長 沖村 憲樹】(戦略的創造研究推進事業)ならびに株式会社 富士通研究所【代表取締役社長 藤崎 道雄】と共同で、カーボンナノチューブを用いた量子効果ナノデバイスの集積化技術を開発した。
さらに、量子効果ナノデバイスの1つである単一電子トランジスタの電流密度を従来比で1000倍向上させることに成功した。これにより、素子の信号/雑音比を3桁向上させることができた。
本技術開発により、室温では従来不可能であった大気中や溶液中における単一の電荷の検出が可能になる。このことは、将来の量子相関素子の実現や超高密度メモリへの応用、DNA・蛋白質等を高感度検知するバイオ応用などに大きく貢献するものと考えられる。
なお、本成果の一部については、文部科学省「科学技術振興調整費」によって実施したものである。
○量子効果ナノデバイス(単一電子トランジスタなど)の大量生産はこれまで不可能だった
量子効果ナノデバイスの明瞭な特性を得るには、そのサイズを~10nm以下にする必要があるため、非常に高度なナノ加工技術が要求される。例えば、従来電子ビーム露光装置や原子間力顕微鏡による微細加工を用いてナノデバイスの作製が行われてきている。しかし、その処理能力は極めて低く、大量生産する事は不可能であった。
○カーボンナノチューブの微細性とフォトリソグラフィー技術の量産性との組み合わせにより量産が可能に
産総研では、従来の微細加工を用いずに、カーボンナノチューブと通常のフォトリソグラフィー技術を用いることにより、量産可能な量子効果ナノデバイスの作製技術を確立した。用いた単層カーボンナノチューブは直径が1~2nmと極めて細く、これに化学処理で欠陥を導入することにより1~2nmの量子ドット形状を作製する事に成功した。これを電子の通り道であるチャネルに用いた単一電子トランジスタでは、電子が入る領域のサイズが1~2nmと微細になるため室温での動作が可能になった。
○従来の単一電子トランジスタの電流は10億分の1アンペアと極めて微量
単一電子トランジスタは、電子を1つずつ移動させる究極のデバイスであり将来性が嘱望されているが、その電流が10億分の1アンペアのオーダーと非常に微量であり、高度な雑音対策を必要とするので検出に困難を伴っていた。
○電流密度を1000倍向上させることに成功
単一電子トランジスタを実社会に応用するためには、その電流密度を大幅に増加させる必要があった。今回開発したカーボンナノチューブを用いた単一電子トランジスタでは、カーボンナノチューブの高導電性により電流密度を従来の単一電子トランジスタよりも3桁高い10万分の1アンペアのレベルに向上させることに成功した。これにより、室温動作単一電子トランジスタの実社会における応用が一気に加速されるものと考えられる。
量子効果ナノデバイスは、従来にない様々な新しい特性を有しているためその実用化を目指した研究が行われているが、量子効果を室温で明瞭に観測するためには数10nm以下の微細構造が必要とされる。このような微細構造を作製するためには、電子ビーム露光装置やフォーカスイオンビーム装置、原子間力顕微鏡などの最新の技術が必要である。これらの技術を用いれば数10nm以下の微細構造の作製は可能であるが、デバイスを1個ずつ個別に作製しなければならないために膨大な時間を要し、その生産性は極めて悪く、量産は不可能であった。このため、量子効果ナノデバイスを実用的な応用に展開する事は不可能であった。
カーボンナノチューブは、その数nmという微細な構造からナノエレクトロニクス素子への応用が期待され、様々に応用の方法が研究されてきた。しかしながらそのあまりにも微細な構造のために、取扱が非常に困難であり、特に電子デバイスへの応用に際して必要不可欠な、場所の指定が極めて困難であるという問題を有していた。
単一電子トランジスタは、電子を1個ずつ個別に制御して動作する素子のため、究極の低消費電力素子や単一の電荷を検知する素子として期待されている。しかしながらこの単一電子トランジスタを完全に室温で動作させるには1~2nmの微細構造を作製する必要がある。これは従来の微細加工技術では非常に困難なサイズであり、しかも量産する技術はなかった。
これらの問題を解決しない限り、量子効果ナノデバイスの実用化は不可能であると考えられていた。
産総研では、前述の状況を鑑み、微細性に優れたカーボンナノチューブと量産性に優れたフォトリソグラフィー技術を組み合わせて、量子効果ナノデバイスの1つである高性能な単一電子トランジスタの開発に取り組んできた。その結果、従来困難であったカーボンナノチューブの位置の指定の問題を解決し、量子効果ナノデバイスの量産手法を確立した。更に、従来の単一電子トランジスタの1000倍の高電流密度を実現した。
【図1】に、量子効果ナノデバイスの量産手法を示す。まず、1)酸化シリコン/シリコン基板上に、通常の集積回路技術で用いられるフォトリソグラフィー技術で、ナノデバイスの電極となる形状にフォトレジストをパターニングする(パターンのサイズは、電極幅が20µm、電極間 間隔が4µm)。ついで、2)真空蒸着装置を用いて極薄膜の鉄金属を試料全体に形成する。3)アセトンを用いてフォトレジストを溶解させることにより鉄極薄膜の電極パターンが形成される。4)この試料を熱化学気相成長炉に入れ、900℃においてメタンガスを流す。これによりパターニングした鉄が触媒として働き、これを核としてカーボンナノチューブが成長し、2つの電極パターン間を橋渡しする。
図1 カーボンナノチューブ量子効果ナノデバイスの量産手法
【図2】は、1cm四方の基板に形成した400個の量子効果ナノデバイスの一部を撮影した顕微鏡写真である。電極間隔を拡大した【図2(d) 】の電子顕微鏡写真では、電極間に1本のカーボンナノチューブが成長していることがわかる。このカーボンナノチューブが量子効果ナノデバイスのチャネルとして働く。このフォトリソグラフィー技術を用いた手法により、一遍に大量の量子効果ナノデバイスを作製することが可能となった。
|
(a)全体の顕微鏡写真
|
|
(b) 1ユニットの顕微鏡写真
|
|
(c) 1単一電子トランジスタの顕微鏡写真 |
(d)カーボンナノチューブの電子顕微鏡写真 |
図2 量子効果ナノデバイスの量産手法により形成したカーボンナノチューブ単一電子トランジスタ
|
この電極間に成長したカーボンナノチューブに化学的処理を施し、欠陥を多数導入する。この欠陥を含んだカーボンナノチューブをチャネルに用いて、量子効果ナノデバイスの1つである単一電子トランジスタを完成させた。構造図を【図3】に示す。カーボンナノチューブを成長させた金属触媒の上からオーミック電極の金属電極を形成し、カーボンナノチューブに電子を流し込むソース電極、電子を取り込むドレイン電極とする。カーボンナノチューブに近接して金属電極を形成し、カーボンナノチューブの中の電子の数を制御するゲート電極とする。
図3 欠陥を導入したカーボンナノチューブをチャネルとして用いた量子効果ナノデバイス
:単一電子トランジスタの構造図
単一電子トランジスタの電気的特性を室温で測定した。【図4】はカーボンナノチューブを流れる電流(ドレイン電流)のゲート電圧とドレイン電圧の依存性を三次元的に表示したものである。縦軸がカーボンナノチューブを流れるドレイン電流、2つの横軸がそれぞれゲート電圧とドレイン電圧になっている。この図において、ドレイン電流がゲート電圧を変えることにより、よく流れる状態や流れにくい状態に大きく変化していることがわかる。この様子をわかりやすくするために、電圧を印加しているにもかかわらず、ドレイン電流がほとんど流れない領域を「赤」で表示してある。この「赤」で表示した領域は菱形(ダイヤモンド形)をしていることがわかる。この領域は1個の電子がクーロンブロッケード現象によってカーボンナノチューブ内に閉じこめられ、別の電子がカーボンナノチューブ内に移動しようとしてもその電子の移動が禁止されている状態を示している。このような特性は、その形からクーロンダイヤモンド特性と呼ばれており、従来室温で測定することは非常に困難であった。ところが本研究成果では、カーボンナノチューブの微細な構造と化学処理により導入した欠陥により、容易に1~2nmという微細な構造を形成する事ができるようになったことで、電子を1~2nmという微細な領域に閉じ込めることができ、クーロンダイヤモンド特性を室温で測定することが可能になった。この特性を利用すると、室温で電子を1個1個測定する事が可能になる。
さらに【図4】より、ドレイン電流の値が10~15マイクロアンペアであることがわかる。従来の単一電子トランジスタのドレイン電流は1~10ナノアンペアのオーダーなので、ほぼ1000倍近い大きな電流が流れていることがわかる。これはカーボンナノチューブの高い導電性と良好なオーミック電極のためである。この大きなドレイン電流のために、信号電流にノイズが全く現れない高性能な特性が得られる。しかも作製プロセスにフォトリソグラフィー技術を用いているので、この高性能な量子効果ナノデバイスの量産が可能である。
このように形成した量子効果ナノデバイスの1つであるカーボンナノチューブ単一電子トランジスタは、従来の集積回路技術だけを用い、一切の高度なナノテクノロジープロセスを使用していない。そのため、高性能な量子効果ナノデバイスを容易に大量生産することが可能であり、将来の応用面で大きな貢献が期待される。またこの手法を適用すれば、将来の様々なナノエレクトロニクスデバイスの大量生産にも結びつく重要な技術であると考えられる。
図4 カーボンナノチューブ単一電子トランジスタの室温におけるクーロンダイヤモンド特性
( 従来の単一電子トランジスタ特性よりも1000倍大きなドレイン電流が得られている )
( 赤い領域が電子が1個カーボンナノチューブ内部に閉じ込められている領域を示す )
単一電子トランジスタには、その本質的な超低消費電力特性と高い電荷感度特性から様々な応用に展開できると大きな期待が寄せられているが、従来「その室温動作が非常に困難であること」「電流密度が極めて低いこと」「その大量生産がほとんど不可能であること」という3つの問題から、実用化はまだまだ先のことと考えられていた。ところが、カーボンナノチューブを利用する本成果によって、これら3つの大きな課題が一挙に解決されたため、従来から考えられていた様々な単一電子トランジスタの応用展開が可能になると期待される。例えば、室温で1個1個の電子の分布を検知することが可能であることからDNA・蛋白質等の高感度検知などのバイオ応用、量子相関素子の実現、超高密度メモリへの応用などが考えられる。