我々の行動の基本は、「目標」と「報酬への期待」を関連付けるモチベーションによる。この時、目標を達成すればどれだけ報酬が得られるかという「期待の大きさ」は脳内のどこでどのように表現されているのだろうか?
独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】脳神経情報研究部門【部門長 河野 憲二】の 設楽 宗孝【しだらむねたか】 主任研究員は、米国国立精神衛生研究所(NIMH)の Barry J Richmond博士と共同で、これまで困難だった「目標」と「報酬への期待の大きさ」をコントロールできる課題(多試行報酬スケジュール課題)を開発し、この課題遂行中のサルの脳より単一神経細胞活動を記録・解析した。
開発した課題を簡潔に説明すると、「数段階の試行を正解すると初めて報酬が貰える」というものである。何回正解すると報酬が貰えるかの手がかりを示しながらサルに課題を遂行させると、エラー率は報酬が近づくにつれて小さくなる。これは報酬がもうすぐ貰えるという期待が大きくなっていることを表す。この時、前頭葉内側部の前帯状皮質【図1】に報酬への期待の大きさに比例して、反応が強くなる神経細胞があることを世界で初めて発見した。さらに、この課題において何回正解すると報酬が貰えるかの手がかりをランダムに表示するように変更すると、報酬にどのくらい近いかがわからなくなってしまうので、秩序だった神経細胞の反応が失われることも確認した。
今回の成果は、人間のやる気であるとか、行動計画を立てたり選んだりする時の脳内プロセスの解明や、秩序だったモチベーションが失われていると考えられる強迫性障害や薬物濫用患者の症状の理解や改善に役立つことが期待される。
本成果は、米国サイエンス誌5月31日号に掲載された。
我々の行動の基本は、目標と報酬への期待を関連付けるモチベーションによる。では、目標を達成すればどれだけ報酬が得られるかという期待の大きさは脳内のどこでどのように表現されているのだろうか? 特に、強迫性障害や薬物濫用の患者では、秩序だった目標と報酬への期待の関連付けが失われていると考えられる。しかし、これら患者の根本的治療の前提となる、正常時における報酬への期待の大きさは、脳内のどこでどのように表現されているのかということがわかっていなかった。これを調べようとする時まず問題になるのが、モチベーションというものが科学的に取り扱い難く、その大きさを定量的に表すことが難しいということである。そのため、「脳の単一神経細胞レベルでこれがどのように処理されているのか」の詳しい研究はほとんどなされていなかった。そこで我々は、モチベーションの大きさをコントロールできる課題(多試行報酬スケジュール課題)を開発してサルに学習させ、課題遂行中のサルの脳内の単一神経細胞から記録・解析を行った。
今回、次の理由で「前頭葉内側部にある前帯状皮質」を有力候補として記録・解析を行った。
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解剖学的位置:モチベーションや情動の上で重要な刺激に反応して運動を起こすときに重要であるといわれている神経回路がある。解剖学的に神経線維連絡を調べると、[前帯状皮質→腹側線条体→腹側淡蒼球→視床MD核→前帯状皮質]というループを形成していることがわかっている。しかも、前帯状皮質は前頭前野および辺縁系のいろいろな部位と線維連絡があり特に重要な役割を担うことが想像される。
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前帯状皮質が、パフォーマンスモニターとエラー検出、葛藤のモニターと反応選択に重要と言われているが、これらはすべて報酬への近さや見込みを評価することに依存している。
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強迫性障害や薬物濫用の患者など、モチベーションのプロセスに障害があると考えられる患者のfMRI研究では、前帯状皮質に通常より強い活動があることが報告されている。
モチベーションの大きさをコントロールするためにはどうしたらよいだろうか。我々はまず、サルに単純な視覚色弁別課題【図2A】をトレーニングした。ここでの最終的なゴールは、報酬のジュースを得ることである。「画面中心にあるターゲットの色が赤色から緑色に変わったら、1秒以内にバーから手を離さなければならない」という課題で、通常の課題では1回正解すれば報酬が与えられる。しかしここでは、4回正解しないと報酬が得られない課題とした【図2B】。するとサルは、スケジュールの何回目を行っているかの手がかりを示した場合、1回目、2回目、3回目と報酬に近い試行ほどエラー率が少なくなり【図3白丸】、報酬期待が大きくなった。また、このスケジュールの何回目を行っているかを示す手がかりをランダムにして報酬へどれくらい近いかをわからなくしてしまうと(ランダム条件)、サルは常に低いエラー率でがむしゃらに課題を行うようになった【図3赤丸】
そこで次に、この課題を遂行中のサルの前頭葉内側部にある前帯状皮質より単一神経細胞の活動を記録・解析した。すると、スケジュールが進行するに従って、反応強度が徐々に大きくなるものがあることがわかった【図4黒線】。しかも、ランダム条件ではこれらの神経活動は消失するか、一定の強さで常に反応するようになり、徐々に強くなるという特徴は失われることがわかった【図4赤線】。
したがって、このような秩序だった神経活動が失われることが、強迫性障害や薬物濫用の患者の脳内で起きている原因である可能性が示唆された。
今回の成果は、人間のやる気であるとか、行動計画を立てたり選んだりする時の脳内プロセスの解明や、秩序だったモチベーションが失われていると考えられる強迫性障害や薬物濫用患者の症状の理解や改善に役立つことが期待される。
モチベーションによる目標達成への行動発現の仕組みの一端が解明されたが、[前帯状皮質→腹側線条体→腹側淡蒼球→視床MD核→前帯状皮質]というループ回路全体でシステムとしてどのような情報処理がなされているのかを今後調べていく。これにより、モチベーションシステムの障害に原因があると考えられる患者の症状改善への応用や、モチベーションに基づいて能動的に目標を達成するロボットシステムへの応用に役立てることができるよう、モチベーションシステムの脳内情報処理機構の解明に取り組んでいく。