手に棒を持ち、目を閉じて棒で物を触ると、触った感触はどこに感じられるだろうか?
[手] か、それとも[棒の先] か? 独立行政法人 産業技術総合研究所【 理事長 吉川 弘之 】脳神経情報研究部門【 部門長 河野 憲二 】は、この問いに対する答を聞かずに、被験者の脳が[ 棒の先 ]で感じていることを示す客観的な証拠を得ることに世界で初めて成功した。
「右手と左手に加えた刺激の時間順序判断が、手を交差することで逆転する 」という、最近我々が発見した現象を巧みに応用することによって、初めて客観的に示すことが可能となった。
感触を脳に伝える起点となるセンサーは[ 手 ]の皮膚にあることを考えると、これは驚くべきことである。脳にはセンサーからの情報を、センサーの現実の位置にとらわれずに、道具と対象が相互作用する道具の先端に関連付ける能力があることを示す成果である。
今後、道具を操るロボットの開発などに役立つことが期待される。
本成果は、Nature Neuroscience誌10月号に掲載 される。
【 紙媒体に先行して9月4日オンライン出版http://www.nature.com/neuro/journal/vaop/ncurrent/ 】
Yamamoto S & Kitazawa S (2001) Sensation at the tips of invisible tools. Nat Neurosci,10.1038/nn721.M.
なお本成果は、山本 慎也(当所研修員、筑波大学大学院医学研究科博士課程2年、科学技術振興事業団さきがけ研究リサーチスタッフ)と、北澤 茂(当所主任研究員、及び科学技術振興事業団さきがけ研究「協調と制御」領域研究員兼任)の研究で得られた。
道具で物に触るとき、我々は「手」そのものというよりも「道具」の先で感じがちである。
例えば、ボートの漕手は、オールが水をつかむ感覚を、オールを握る手というよりむしろ視界の外にあって眼には見えないはずのオールの先にありありと感じるという。しかし、これらの報告はすべて主観に基づくものであり、「道具の先端の知覚」はこれまでは主として哲学の考察対象であった。
人間の手は万能である。ありとあらゆる道具を巧みに操る。人の手と同じくらい器用で万能なロボットを作るには、人間の手と脳に学ぶ余地が大いにありそうだ。「道具の先端の知覚」も学ぶべき能力の一つかもしれない。そこで、われわれは「道具の先端の知覚」が本当に脳の中に生じているのかどうかを客観的に示し、科学の対象として扱うことのできる実験系を作ることに取り組んだ。
「道具の先で感じているかどうか」を直接質問することなく調べるにはどうすればよいか。
一見不可能に見えるこの難題に、われわれが最近発見した「 手の交差による主観的時間順序の逆転 」現象が役に立った。
○手の交差で生じる時間の逆転
右手と左手を短い間隔で触った時の時間順序を脳がどのようにして判断しているかを調べる研究で、我々は思いがけない現象を発見した。手を交差しない場合【図1の ○印】は、誰でも右手と左手の刺激時間差が0.1秒あれば確実に正解することができた。手を交差しても【図1の ●印】、刺激時間差が1秒を越えると、やはりほぼ確実に正解することができた。ところが、驚いたことに、刺激時間差が0.3秒以内の場合には、時間順序判断が逆転した。 図1の例ではほぼ完全に逆転し、グラフはN字状になった。一方、右手単独、あるいは左手単独の刺激の場合にはどちらの手を刺激されたかの判断を誤ることは無かった。つまり我々の発見した現象は、左右の手の単純な取り違えでは説明できない。手の空間配置が時間順序判断を劇的に変化させたと結論できる。
○棒の交差で生じる時間の逆転
では、右手と左手に一本ずつ棒をもって、棒の先を短い間隔で触ったときの時間順序判断はどうなるだろう。手を交差させずに棒だけを交差したときに、時間順序は逆転するだろうか。もし、棒の先端に加えた刺激を「手」で脳が感じているなら、手は交差していないから時間順序は逆転しないはずだ。一方、もし時間の順序が逆転したら、脳は「手」では刺激を感じていないことになる。つまり「棒の先」で感じていることが示される。
図2を見て欲しい。眼を閉じた被験者の、棒を交差しないときにはS字型の判断が、交差によってN字型に劇的に変化した。手を交差させずに棒を交差するだけで、時間順序が逆転したのだ。我々の脳は「棒の先」で感じていることを示す客観的な証拠である。
感触を脳に伝える起点となるセンサーは「手」の皮膚にあることを考えると、「 棒の先 」で知覚されるのは、驚くべきことである。脳にはセンサーからの情報を、センサーの現実の位置にとらわれずに、道具と対象が相互作用する道具の先端に即座に関連付ける能力があることを示す成果である。今後、我々はこの能力が及ぶ道具の範囲を調べ、さらに道具を操るロボットの開発に役立てることができるよう、脳の中の機構解明に取り組んでいく。