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お知らせ記事2025/04/15

「光学ガラス製造に貢献した高松亭の実験ノート」が化学遺産に認定

「光学ガラス製造に貢献した高松亭の実験ノート」が第16回化学遺産に選ばれました。認定の対象は「昭和10年頃の実験記録ノート(3冊、A4版)」と「光学ガラスの成分表のメモ」で、現在は産総研関西センターに保管されています。

高松亭の実験ノート

化学遺産とは、公益社団法人日本化学会が日本の化学分野の歴史資料の中でも特に貴重なものに対して遺産として認定するものであり、それら遺産を次世代に受け継いでいくと共に化学分野の技術と教育の向上・発展に寄与する事を目的として2010年に制定されたものです。 今年の第16回では本件を含む5つのテーマが認定されました。

 

認定の理由(日本化学会リーフレットより引用)

19世紀のはじめスイスに始まった光学ガラスの技術は、フランスからイギリス、ドイツへと拡がった。第一次世界大戦勃発以降、ヨーロッパからの輸入が途絶えた光学ガラスの国内での生産が焦眉の急となっていた。
農商務省(当時)の大阪工業試験所(現 産業技術総合研究所 関西センター)が1918年に設立され、光学ガラスの研究が始まった。1921年に入所した高松亭(たかし)は光学ガラス国産化のためのプロジェクトに参加した。高松は、それまでの海外文献の不備を指摘し、得られた光学ガラスの光学測定を行って独自に光学ガラスの屈折率nD値とアッベ数v値の関係を明らかにした。高松はルツボ炉の開発や原料の品質を上げる工夫を行い、熔融実験を繰り返してテッサーレンズ用のガラスを含めて61種の光学ガラスを作った。
残されている3冊の実験ノートの日付は、1934年11月1日から1937年9月23日にかけてである。炉内の温度が1時間ごとに記録されている。成分表メモ帳もガラスの目標値と成分比が詳細に記されている。いずれも我が国における光学ガラス製造の黎明期の歴史を伝える貴重な資料である。

なお、化学遺産の認定証授与式は、2025年3月27日(金)に関西大学を会場として開催された日本化学会年会において行われました。

高松 亭(たかまつ たかし)・・・1921年5月大阪工業試験所へ入所。1935年5月工学博士の学位を取得し、1943年3月に第3代大阪工業試験所長に就任。1948年1月病気のため辞職し、同年3月死去。

左:日本化学会会長 丸岡 啓二 氏、右:辰巳国昭 産総研関西センター所長(当時)
(日本化学会から提供)

本件問い合わせ先

国立研究開発法人 産業技術総合研究所
ブランディング・広報部 報道室
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