発表・掲載日:2021/11/10
政府の技術実証による大規模イベントでの感染予防対策の調査(第一報)
-2021年10月のJリーグ・日本代表戦におけるワクチン・検査パッケージ導入試合の調査結果-
ポイント
- Jリーグ・日本代表戦の8試合で、政府等のワクチン・検査パッケージの技術実証において調査を実施
- 接種証明等のチェックブース通過にかかる時間は一人当たり平均34秒
- 試合中のマスク着用率はワクチン検査パッケージ席で93%、通常席で95%
- 観客の応援は主に拍手であり、試合時間に対してチャンス等で歓声が発生した割合は平均2.8%
- 基本的感染防止に加え、ワクチン接種の効果を入れたリスク評価の結果、ワクチン接種なし、かつ基本的感染防止対策を実施していない場合と比較して、感染リスクが98%低減されると評価
概要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)地圏資源環境研究部門地圏化学研究グループ 保高 徹生 研究グループ長、人工知能研究センター社会知能研究チーム 大西 正輝 研究チーム長、坂東 宜昭 研究員、安全科学研究部門リスク評価戦略グループ 内藤 航 研究グループ長、岩崎 雄一 主任研究員 、篠原 直秀 主任研究員らは、日本サッカー協会(以下、JFAという)、日本プロサッカーリーグ(以下「Jリーグ」という)と名古屋グランパス、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸、浦和レッズ、川崎フロンターレと連携し、政府、JFA、Jリーグによる「ワクチン・検査パッケージに関する技術実証」において、カメラ撮影・AIによる画像認識によるマスク着用率の評価等の感染予防対策の実施状況に関する調査・研究を推進しており、2021年10月11日に1試合分の速報を公開した。
今回は、10月に実施された8試合の、レーザーレーダーによって計測したワクチン接種証明・陰性証明のチェックブースを通過するのにかかる時間、画像認識によるマスク着用率、マイクロホンアレイによる音声調査について報告するとともに、これまで得られたデータを基にしたスタジアムにおける感染リスク対策の効果の評価について報告する。
ワクチン接種証明・陰性証明のチェックブースでの確認時間の平均は約34秒であることが確認された。マスク着用率については、実際に観客が入場したスタジアムにおいて、人工知能(AI)技術を用いた画像認識から、試合中(ハーフタイム以外)のマスク着用率は、証明書を持つワクチン検査パッケージ席で93%、通常席で95%と算定され、大きな違いがないことを確認した。マイクロホンアレイを用いた音声調査の結果、主な応援は拍手であり、試合開始から2時間における、拍手時間の割合は平均50.8%であった。また、観客のチャンス等で大人数が歓声をあげる時間の割合は平均2.8%であり、ワクチン検査パッケージ席と通常席で大きな違いは確認されなかった。
また、産総研は、今回の政府等による技術実証の枠組みの外の取組として、研究チームMARCOと連携し、サッカースタジアムでの観客の感染リスク評価モデルをワクチンの感染予防効果を考慮できるように改良し、今回の技術実証で得られたマスク着用率などのパラメーターを使用して、独自に感染リスクを評価した。その結果、座席間隔の確保、マスク着用、消毒、手洗いの対策を実施するなど、主催者と観客が協力して対策を講じると、対策を講じない場合と比較して、97%の感染リスクが低減されると評価された。さらに、VTシート導入等によるワクチンの感染予防効果を考慮に入れた場合、感染リスクはさらに低減し、98〜98.5%低減されると評価された。今回得られた結果は、スタジアムなどの大規模集客イベントなどで実施されている感染予防対策の効果の評価、対策の指針作りなど新型コロナウイルス感染リスク評価や対策の評価への貢献が期待される。
研究の社会的背景と経緯
新型コロナウイルス感染が続く中、安全にイベントを開催するには、どのような状況下で感染が広がるかのリスクを知ることは重要であり、社会的にも関心が持たれている。特にスタジアムのような大規模施設で開催するイベントには、一度に多くの観客が集まることから、入場者数、マスク着用の有無、混雑の程度、応援方法の違いなどが感染の広がりに影響すると推測されている。これまで、産総研は、Jリーグと連携して、スタジアムやクラブハウスなどで新型コロナウイルス感染予防のための調査を実施し、試合中のマスク着用率は平均95.2%等の結果を公表してきた。
今回、産総研は、政府、JFA、Jリーグによる「ワクチン・検査パッケージに関する技術実証」において、観客による感染予防対策の調査を開始した。10月30日時点で、JFA、Jリーグおよび名古屋グランパス、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸、浦和レッズ、川崎フロンターレと連携して、8試合において調査を実施しており、10月6日の試合の結果については10月11日に速報したところである。
調査内容・結果
本調査では、表1に示す8試合において、以下の調査を実施した。
- レーザーレーダーによって人の流れを計測することでワクチン接種証明・陰性証明チェックブースが混雑する時間帯や確認作業にかかる時間を調査。
- ワクチン接種証明・陰性証明を確認した人のための座席(ワクチン検査パッケージ席、以下、VT席という)と通常席の観客を対象に、AIを用いた画像認識によるマスク着用率や音響認識による歓声等の時間割合を推定。
- CO2計による密の状況・換気状況を計測。
- 対策による感染リスク削減効果をリスク評価モデルにより評価。
表1 調査実施試合・内容調査内容
レーザーレーダーによるワクチン接種証明・陰性証明チェックブースの調査結果
ワクチン接種証明や陰性証明のチェックブースにおいて、図1のように人の位置をレーザーレーダーによって計測し、通過人数および各種証明の確認時間を調べた。図2に計測した5試合での証明書確認ブースの通過時間帯と人数の関係を示す。多くの試合で試合開始60分前〜試合直前まで通過人数が多いことが確認された。また、10月30日のYBCルヴァンカップ決勝では、休日の昼間の試合ということもあり、他の試合と比較して早い段階での通過人数が多かった。
また、証明書チェックブースにおける証明書の確認時間(テント前での滞在時間)の平均は10月6日の豊田スタジアムでは32.7秒、10月16日の日産スタジアムでは34.7秒、10月24日の豊田スタジアムで33.3秒と、3試合の平均で33.4秒であり、60秒以上かかった人の割合は10%程度であった。
図1 レーザーレーダーでの撮影状況(左)および人流の測定状況(右)。
右図の輝点は人、線は人の動き、円は半径1mを示します。
図2 各試合における証明書チェックブースの通過時間帯と人数(左)と滞在時間(右)
カメラによるマスク着用率の計測結果
VT席と通常席での観客のマスク着用率をAIによる画像認識を用いて評価した。図3に計測の様子(左)とAIによる画像認識技術でのマスク検出状況(右)の一例を示す。また図4に各試合での試合中とハーフタイムのマスク着用率をグラフで示す。10月12日のハーフタイムのVT席は夜で雨が降るなどAIで画像認識を行うには悪条件が重なり正しく計測できなかった。
対象とした8試合におけるマスク着用率は試合中で平均94.3%、ハーフタイム中は平均81.4%であった。本年4月〜5月にJリーグで実施した調査では、試合中の平均95.2%、ハーフタイム中の平均85.6%であり、本調査と同程度であった。また、VT席と通常席を比較すると、試合中のマスク着用率の平均はVT席で93%、通常席で95%と顕著な差は見られなかった。
これらの結果から、ワクチン接種が進み、緊急事態宣言などが解除された状況下の試合でもこれまでの計測においてはマスクの着用率が大きく低下していないことが確認された。なおマスクの非着用は一時的に飲食時や顎にマスクをずらす行為および当該行為後のマスクの着用の失念が大半であり、特にこれらの行動は子供に多くみられたが、いずれも一時的なものであった。
また、VT席での着用率が低く計測された10月16日神戸での試合については、VT席への子供の招待があったため、マスク着用率が低くなっている可能性がある。また、VT席のみのアルコール販売は10月12日の日本代表戦および10月30日YBCルヴァンカップ決勝では実施されたが、10月12日はVT席のほうが低いが、10月30日はVT席のほうが高い結果となり、明確な影響は確認されなかった。
図3 カメラでの撮影範囲(VT席と通常席)(左)およびAIによる画像認識技術でのマスク検出状況(右)
図4 マスク着用率の結果
マイクロホンアレイによる音声調査の結果
図5のようにマイクロホンアレイを設置しAI分析により、ワクチン接種普及後の試合におけるVT席と通常席での拍手や歓声等の時間割合を計測した。図6に、技術実証以前の4試合、技術実証の3試合、合計7試合におけるAIに基づく音響イベント検出により求めた観客による拍手とチャンス等における大人数の歓声の時間割合を示す。これらの全ての試合では、声だし応援は禁止されており、主な応援手段は拍手(7試合平均 50.8%)であり、チャンス等における大人数の歓声の時間割合は7試合平均2.8%と小さいことが確認された。技術実証の3試合では、試合開始から2時間での拍手時間の割合は、スタジアム全体で平均55.6%、VT席で47.3%、チャンス等で大人数が歓声をあげる時間の割合はスタジアム全体で平均3.1%、VT席で2.7%であり、に大きな違いは見られなかった。また、技術実証以前の4月〜6月に調査をした4試合と比較しても大きな違いは確認されなかった。
なお、10月12日の埼玉スタジアムでは、ワールドカップ予選ということ、終盤に決勝点を日本が決めるという展開であり、歓声が多かったことが確認された。また、当該試合では、一部サポーターがチャントを歌ったことが報告されているが、当日は雨のためゴール裏にマイクロホンアレイは設置できておらず、当該音声は評価できなかった。
図5 左 マイクロホンアレイ調査状況(左)およびAIによる音響イベント検出結果の例 (右)。
各時刻における音響イベントの有無をグラフの上下で表しており、上が検出を示す。
図6 試合開始から2時間での音響イベントの平均時間割合 [%]。
時間割合は、評価区間2時間のうち検出された音響イベントの区間の割合を示す。
CO2濃度の計測結果
10月12日の埼玉スタジアム2002、10月16日の日産スタジアム、10月30日のYBCルヴァンカップ決勝において、CO2センサーを、ワクチン接種証明・陰性証明チェックブース、コンコース、観客席、トイレ等に設置して観測した。日産スタジアムでのCO2センサー設置状況および場所ごとのCO2濃度を図7に示す。3試合での調査の結果、ハーフタイムや試合後のトイレでCO2濃度の上昇(最大濃度1000ppm程度)が一時的に見られたが、トイレを除いた調査地点では、最大で750ppm程度であり、換気が悪い状況は確認されなかった。また、今回はじめて調査を実施したワクチン接種証明・陰性証明チェックブースのCO2濃度の経時変化の結果を図8に示す。ワクチン接種証明・陰性証明チェックブースでは、最大で700ppm程度であり、換気が悪い状況は確認されなかった。
図7 CO2計設置状況(左)および日産スタジアムでのCO2濃度(右)
図8 ワクチン接種証明・陰性証明チェックブースでのCO2濃度の経時変化(試合開始 19時〜)、
線の色はチェックブース内の異なる場所に設置したデータである。
計測結果に基づくリスク評価
産総研は、政府等による技術実証の枠組みの外の取組として、独自に今回の技術実証で得られたデータを用いて、研究チームMARCOと連携し、埼玉スタジアム2002で実施されたYBCルヴァンカップ決勝のリスク評価を実施した。リスク評価モデルとしては、スタジアム等におけるリスク評価モデルであるMurakami et al.(2021)のモデル(産総研の研究者も参画)を改良し、マスク着用率、座席間隔、同行者数などを考慮可能にしたYasutaka et al.(2021)のモデルをベースにして、ワクチン接種による感染予防効果を考慮できるように改良した。今回の技術実証で得られたマスク着用率等のパラメーターや入場者数等を使用して、感染リスク対策の効果を評価した。計算条件の概要を以下に示す。
- 環境中ウイルス動態と曝露経路をモデル化し、飛沫の直接曝露、飛沫の直接吸入、拡散したウイルスの吸引、表面接触の曝露経路からの感染リスクを評価。
- 対策として、座席間隔の確保、マスク、消毒、手洗いの効果を評価。
- ワクチン接種率については通常席60%、VT席90%(陰性証明による入場が10%と仮定)とし、ワクチンによる感染予防効果は50%および80%で計算した。
- コンコース、観客席、トイレ、飲食店の場に分けて解析。
- 今回変更した主なパラメーター
- 対策時のマスク着用率は、通常席、VT席ともに実測値を使用
- 観客人数は当日の観客数を使用(通常席9177人、VT席8756人)
- 座席間の距離は対策なし時は0.5 m、対策あり時は動員率に応じて設定(1 m以上)
- 換気係数はCO2濃度データから妥当性を確認
- 試合観戦時間は当日のアディショナルタイムを考慮して設定
- 同行者数、試合前スタジアム滞在時間は4月にJリーグが実施したアンケート結果を使用
- ウィルス量はデルタ株を想定し、Murakami et al.(2021)での設定条件の1000倍と仮定した
- モンテカルロシミュレーションで1条件、10,000回実施し、感染リスクの平均値を求めた。
リスク評価の結果を図9に示す。ワクチン接種なし・対策を実施しない場合と比較して、ワクチンによる感染予防効果が50%の場合、VT席で53%の感染リスクが低減、感染予防効果が80%の場合、VT席で78%の感染リスクが低減されると評価された。また、座席間隔の確保、マスク、手洗い、消毒の対策をとり、主催者と観客が協力して対策を講じると、ワクチン接種なし・対策を実施しない場合と比較して、97%の感染リスクが低減できると評価された。
さらに、感染予防対策とワクチンによる感染予防効果を考慮に入れた場合、感染リスクはさらに低減し、2%程度(98%減)になること、VT席は通常席と比較して2/3程度のリスクとなると評価された。
なお、スタジアムでの感染リスクは、ここに示した観客・主催者による対策やワクチン接種率だけでなく、市中感染率にも大きな影響を受けるため、観客の上限人数制限緩和や応援等の制限緩和においては、対策の実施状況、ワクチン接種率や感染予防効果の変化、そして市中感染率を含めた総合的な検討が必要であろう。
図9 リスク評価の結果
今後の予定
政府、日本サッカー協会(JFA)、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)による「ワクチン・検査パッケージ」に関する技術実証において、観客と主催者の協力による感染予防対策の実施状況を継続して調査し報告する。また、スタジアムでの観戦の際の新型コロナウイルス感染リスクと対策の指針作りなど新型コロナウイルス感染リスク評価、対策効果の評価を進める。
本件問い合わせ先
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
地圏資源環境研究部門 地圏化学研究グループ
研究グループ長 保高 徹生 E-mail:t.yasutaka*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)
人工知能研究センター 社会知能研究チーム
研究チーム長 大西 正輝 E-mail: onishi-masaki*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)
安全科学研究部門 リスク評価戦略グループ
研究グループ長 内藤 航 E-mail: w-naito*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)
用語の説明
- ◆研究チームMARCO
- MARCO((MAss gathering Risk COntrol and COmmunication)代表者:東京大学医科学研究所 井元教授)は、大規模集会におけるリスク制御とコミュニケーションを目的に組織された有志研究チーム。医学、工学、環境学、数学、統計学、バイオインフォマティクス、ハイパフォーマンスコンピューティングなど多様な専門分野の研究者が集まり、課題を解決するための科学と社会実装を展開している。国公立大学、私立大学、国立研究開発法人、民間企業、病院など10を超える機関から20名以上が自発的に参加し、社会に向けた多くの提言を行っている。[参照元へ戻る]
- ◆レーザーレーダー
- レーザーを用いて対象物体までの距離を計測するセンサー。複数のレーザーを回転させることによって高い空間分解能で環境の三次元空間の情報を得ることができる。ライダー(LiDAR: Light Detection And Ranging)とも呼ばれる。[参照元へ戻る]
- ◆ワクチン・検査パッケージに関する技術実証
- 「ワクチン・検査パッケージに関する技術実証」は、政府が実施するワクチンと検査を活用した日常生活の回復のための技術実証である。感染対策をしっかりと行っている飲食店やライブハウス・小劇場、スポーツやコンサート等のイベント、旅行等において、ワクチン接種歴の確認や事前の検査のオペレーション等を検証する。
詳細は、ワクチン接種が進む中における日常生活の回復に向けた特設サイト|内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室 (corona.go.jp)を参照。 [参照元へ戻る]
- ◆マイクロホンアレイ
- 異なる位置に複数のマイクロホンを配置したもの。各マイクロホンの位置関係と、各マイクロホンに音が到達する時間の違いをもとにデータ処理をおこない、音源の位置を推定したり、特定方向の感度を上げたり下げたりすることができる。[参照元へ戻る]
- ◆音響イベント検出
- 入力された音響信号に含まれている特定の音響イベントを、その生じた区間とともに検出する技術。[参照元へ戻る]
- ◆Murakami et al.(2021)モデル
- マスギャザリングイベント(多くの人が集まるイベント)において観客の感染リスクを経路別に評価したシミュレーションモデルを開発した初めての論文。2021年3月21日、微生物のリスク分析に関する国際的な専門誌である「Microbial Risk Analysis」に掲載された。
https://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S2352352221000049 [参照元へ戻る]
- ◆Yasutaka et al.(2021)のモデル
- マスギャザリングイベント(多くの人が集まるイベント)において観客の感染リスクを経路別に評価したシミュレーションモデルであるMurakami et al.(2021)を改良したモデル。本評価で使用したモデルは、上記論文のモデルに対して、マスク着用率、座席間隔、同行者数などを考慮できるように改良したものである。2021年7月6日にプレプリントとして、medRxivに登録しており、査読付き論文として投稿中である。
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2021.07.05.21259882v1 [参照元へ戻る]
- ◆モンテカルロシミュレーション
- 確率的な分布を設定し、乱数を用いた試行を繰り返すことで行うシミュレーション方法。[参照元へ戻る]
関連記事