国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)地質情報研究部門【研究部門長 田中 裕一郎】情報地質研究グループ 尾崎 正紀 上級主任研究員、海洋地質研究グループ 井上 卓彦 主任研究員らは、20万分の1地質図幅「輪島」を全面改訂し、57年ぶりに第2版として刊行した。
能登半島北部とその周辺海域にあたる「輪島」地域は、1993年能登半島沖地震や2007年能登半島地震などを引き起こした活断層帯が能登半島北側沿岸に発達しており、防災上留意すべき地域である。またこの地域にはユーラシア大陸と日本列島を分離させた約3,000万年にわたる日本海の形成史が記録されており、学術研究的にも重要である。本地質図は、1962年の初版以降に得られた最新の研究成果を、陸域だけでなく海域も含めた切れ目のないシームレスな地質情報として詳細にまとめ、さらに地質情報の空白域であった浅い沿岸海域に発達する活断層を明確化した。学術研究、減災対策のほか、自然を生かした観光・教育の基礎資料としての活用が期待される。
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20万分の1地質図幅「輪島」の初版と第2版(凡例や挿図を除く) |
地質図幅は、地層・岩体の分布の様子を地形図に表した図で、資源開発、防災、土木・建設、観光、教育など幅広い分野の基礎資料として利用されている。このうち20万分の1地質図幅は、地層・岩体・火山・断層・鉱床などの分布が広範囲で示され、特に広域の地質構造や地史を知るための学術的な資料としても重要である。
「輪島」地域は、能登半島北部と、その周辺に広がる七ツ島や舳倉島を含む能登台地(主に水深150 m以浅)と呼ばれる陸棚からなり(図1)、輪島市の中・北部、珠洲市の全域、および鳳珠郡能登町の北部を含む。初版は、20万分の1地質図幅整備が始まった頃の1962年に刊行されたが、その後、綿密な野外調査や分析データの精度向上によって多くの研究成果が得られたことから「輪島」図幅の改訂を行う必要があった。加えて、大きな被害を与えた2007年能登半島地震の震源域は、浅い沿岸海域で、大型調査船が入りにくく海洋地質調査が難しかったために、地質情報の空白域となっていた。そのため、こうした浅い沿岸海域をカバーした、海から陸に至る切れ目のないシームレスな地質情報の整備が求められていた。
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図1 「輪島」地域の地形
赤枠が本研究で作成した20万分の1地質図幅の区画。 |
産総研 地質調査総合センターでは、20万分の1地質図幅「輪島」初版の出版以降、同範囲において陸域では5万分の1地質図幅「珠洲岬、能登飯田および宝立山」(2002年)を、海域では20万分の1海底地質図「能登半島西方」(2002年)および「能登半島東方」(2007年)を刊行してきた。その後、2007年能登半島地震の発生を契機に、地質調査の制約条件などにより調査が進んでいなかった浅い沿岸海域の地質情報の空白域をターゲットにした海洋地質および活断層調査を実施し、海陸シームレス地質情報集「能登半島北部沿岸域」(2010年)を刊行した。本地質図幅は、これまで実施した地質調査総合センターの調査研究成果のほか、初版の「輪島」以降に公表された学術的な研究報告や石川県の各種地質図に基づいて作成を進めてきた。
「輪島」地域の地層・岩体には、ユーラシア大陸と日本列島を分離させた、約3,000万年にわたる日本海の形成史に関して、大きく3つの時代の歴史が刻み込まれている(図2・図3)。
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図2 「輪島」地域の地質総括図
縦軸に地質年代、横軸に地域、を配し、地層・岩体が分布する場所や時代を示している。①~③の大きな歴史区分は、それら地層・岩体の分布に基づく。 |
(1)日本海形成の始まり(漸新世中頃〜前期中新世中頃:約3,000〜1,800万年前)
日本海の形成が始まった時代である。地下深部から流動性のある高温のマントルが上昇することによって、ユーラシア大陸東縁の大陸地殻の一部が引き延ばされ(伸張)、正断層などが発達し大陸地殻が裂け、その割れ目を通じて地下から大量のマグマが噴き出して火山活動が活発化した(図3 ①)。「輪島」地域でも、約3,000万年前頃から多くの玄武岩、安山岩、流紋岩の溶岩および火山砕屑岩など(高洲山層、合鹿層、神和住層、馬緤層)が陸上に噴出し、周辺には河川堆積物(縄又層)が堆積した(図2)。能登半島の沖合にある野鳥の飛来地で有名な舳倉島も、この時期の陸上に噴出した玄武岩質安山岩の溶岩(舳倉島層:図2)からできている。周辺海域においても、この時代の溶岩および火山砕屑岩などからなると推定される音響基盤が広く分布する(図2)。ただし、前期中新世中頃になると、一部で沈降が進み、馬緤層には海水の浸入を示す証拠も認められる。
(2)日本海の拡大・深化(前期中新世末〜後期中新世末:約1,800〜600万年前)
この時代では、さらに地殻が引き延ばされ、日本海が拡大し(海域が広がり)、ユーラシア大陸東縁であった地域が大陸から完全に分離した(図3 ②)。日本海と日本列島の原型が形成された時代である。特に1,800〜1,500万年前頃、日本海は急激に拡大と深化が進んで広い海域となり、その後、深い海域の状態が続いた。能登半島北部では、最初、扇状地からファンデルタの粗粒堆積物(道下層)や内湾〜浅海堆積物(東印内層)などが堆積する浅い海域が形成され、その後は深い海となり、主に珪質−珪藻質シルト岩(法住寺層、飯田層や飯塚層)が厚く堆積した(図2)。同様に、能登半島周辺海域にも、南志見沖層群および珠洲沖層群と呼ばれる海の堆積物が広範囲に分布している(図2)。なお、この時代の始め頃は、火山活動が認められ、陸上噴火の流紋岩の大規模火砕流(宝立山層)や海底火山の溶岩および火砕岩(粟蔵層)などが分布する(図2)。
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図3 「輪島」地域を中心とした日本海の形成・発達の歴史の模式図 |
(3)日本列島と日本海の短縮(後期中新世末〜第四紀:約600万年前〜現在)
日本列島と日本海が短縮し、全体として隆起して現在の日本海と日本列島の姿になっていった時代である(図3 ③)。「輪島」地域では、既に(2)の時代の中頃には伸張のイベントから短縮のイベントに転じていたが、600万年前頃になると、能登半島のほか、能登台地でも東北東−西南西方向の逆断層の発達が顕著になり、同方向の隆起帯が形成され(図1)、陸地ないし浅い海となった。このため、この時代の能登半島には、第四紀後半の段丘堆積物や沖積層と呼ばれる薄い地層がわずかに分布するにすぎない(図2)。また、これら高まりの周辺海域では、輪島沖層群や飯田沖層群と呼ばれる海の堆積物が再び堆積するものの、下位に分布する大きく変形を受けた(1)と(2)の時代の地層・岩体との間に著しい傾斜不整合が形成されている(図2)。なお、能登半島北側沿岸に発達する東北東−西南西方向に連続して延びる逆断層群の多くは、活断層帯として現在も活動している(図4)。また、能登半島北縁の岩石海岸の絶景は、この断層帯の変位により著しく隆起した地層・岩体の海岸侵食によって造られている。
20万分の1「輪島」図幅は、産総研 地質調査総合センターの地質図類購入案内(https://www.gsj.jp/Map/JP/purchase-guide.html)から入手可能である。
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図4 能登半島北部付近の活断層などと主な地震 |
今回の成果を20万分の1シームレス地質図(全国版)(https://gbank.gsj.jp/seamless/v2.html)に反映させ、国土の基本情報としてウェブ発信を行う。また、「輪島」地域に続き、能登半島中・南部に位置する20万分の1地質図幅「七尾・富山」地域(1967年刊行)の改訂を行うため、現在、調査を進めている。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
地質情報研究部門 情報地質研究グループ
上級主任研究員 尾崎 正紀 E-mail:masa-ozaki*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)