国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)省エネルギー研究部門【研究部門長 宗像 鉄雄】エネルギー界面技術グループ 朝倉 大輔 主任研究員、細野 英司 主任研究員、松田 弘文 研究グループ長らは、機能性材料の構造安定性を解析するため、放射光軟X線発光分光を用いて各元素の電子状態を詳細に分析する手法を開発した。この手法により、リチウムイオン電池の正極材料では、充放電動作を経た後の構造安定性と、遷移金属と酸素からなる混成軌道での電荷移動の充放電前後の変化とに密接な対応があることを見いだした。
革新的なリチウムイオン電池材料を創成するためには、これまでにない革新的な評価手法により得られた学理に基づくブレイクスルーが不可欠であり、電子状態に基づく材料設計指針の立案への期待は高い。本技術は大型放射光施設SPring-8の軟X線ビームラインBL27SUの放射光軟X線発光分光によって得られた発光スペクトルの電荷移動効果に注目した解析手法で、結晶を構成する元素間の結合の強度を電子状態から議論し、電極材料の構造安定性と充放電サイクル特性とを関連づけたものである。今回開発した手法は電子状態の理解に基づいた高い充放電サイクル特性を示す革新的リチウムイオン電池材料の開発への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、2017年5月25日に英国王立化学会の物理化学分野の専門誌Physical Chemistry Chemical Physicsのオンライン版にて公開された。
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軟X線発光スペクトルと今回得られたマンガン-酸素間の化学結合の情報 |
近年、持続的発展可能な社会の実現のために、二酸化炭素排出量の削減による地球温暖化の抑制が切望されており、クリーンな再生可能エネルギー普及のためにエネルギー貯蔵デバイスの導入が必要とされている。その中で、電気的エネルギーの高密度貯蔵が可能なデバイスとして、リチウムイオン電池を中心に二次電池への期待は高く、エネルギー密度に加えて、出力特性、充放電サイクル特性、安全性などのさまざまな課題に対して世界的に研究開発が活発に行われている。また、これまでのリチウムイオン電池の性能を大きく超える革新的な二次電池の開発へ向けて、現状のリチウムイオン電池の各要素技術において基礎的・学術的な理解に基づいた理論・原理に立脚したイノベーションによる材料開発が必須とされている。そのため、大型放射光施設を利用した電池動作中の測定や元素レベルからの新規な分析・解析法の研究開発も活発に行われている。しかしながら、複雑な充放電反応機構に基づくリチウムイオン電池には未解明な要素が多く、原理に基づいた理論的な材料設計指針の確立が困難な状況である。
産総研省エネルギー研究部門は、リチウムイオン電池などの二次電池開発のため、基礎学理の理解に基づいた革新的材料開発を目指しており、さまざまな材料合成法によるリチウムイオン電池の材料開発だけでなく放射光X線分光法による電極材料の電子状態解析にも取り組んできた。その中でも軟X線を用いることで、電極材料を構成する遷移金属元素の詳細な電子状態に加えて、遷移金属と混成軌道を構成する酸素などの配位子についての解析にも取り組み、元素選択的、電子軌道選択的にリチウムイオン電池の充放電反応の解明に努めてきた。同時に、リチウムイオン電池の動作中での放射光軟X線分光システムを構築し、これまでオペランド軟X線発光分光によるリチウムイオン電池動作中の電子状態の解析を精力的に行ってきた。このオペランド計測技術は世界に先駆けて達成した測定技術であり、軟X線発光分光によるリチウムイオン電池材料の解析法の発展と普及に寄与してきた。
なお、本研究開発は、経済産業省の委託事業「革新的なエネルギー技術の国際共同研究開発事業(平成27~31年度)」、と公益財団法人 服部報公会工学研究奨励援助金による支援を受けて行った。
今回、放射光X線吸収分光による解析に加えて、着目する遷移金属と酸素間の電荷移動効果を直接的に観測できる軟X線発光分光を用いて、リチウムイオン電池の正極材料の原子間の結合の強さを判定する方法を考案した。これにより充放電前後における結合の強さの変化量が充放電繰り返し特性と相関していることを見いだした。
代表的な正極材料のひとつであるマンガン酸リチウム(LiMn2O4)では、一部のマンガン(Mn)をアルミニウム(Al)などの異種元素で置換すると充放電繰り返し特性が改善することが知られている。LiMn2O4の半数程度のMnが+3価(Mn3+)、残り半数程度のMnが+4価の状態をとっているところ、不安定な+3価のMn3+の一部を安定な+3価のAlで置き換えることで、構造安定性が向上することに起因すると明らかにされている。図1は、今回合成したLiAl0.2Mn1.8O4(置換体)とLiMn2O4(無置換体)電極材料を用いた電池セルに対し、充電と放電を交互に繰り返した際の充放電容量の変化を示し、電極材料のサイクル特性を表したものである。置換体を用いた電極材料では、容量の繰り返し特性が大幅に改善されていることが分かる。その一方で、無置換体では、1サイクル目の充電後の容量と、その後の放電の容量とに大きな差があり、特に1サイクル目で大きく容量が低下していることが分かる。
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図1 充放電繰り返し特性(サイクル特性) |
リチウムイオン電池の正極では、1サイクル目の充電によってリチウムが正極から引き抜かれて、初めて高エネルギー状態となり、初回の充電と放電反応による初期状態からの変化は大きい。そのため、第1サイクル前後の電子状態や結晶構造の変化を詳しく調べることとした。この目的を達するため、置換体と無置換体それぞれの初期状態と1サイクル後(放電状態)の試料に対し、Mn元素を選択して軟X線発光分光測定を行った。軟X線発光スペクトルでは、図2に示すように入射光と発光のエネルギーが等しいときに生じる弾性散乱ピーク、Mnの電子軌道に由来するピーク、Mnと酸素間の電荷移動に由来するピークが観測されるが、本研究では、電荷移動由来のピークに着目して解析を行った。
充電前の初期状態では、置換体と無置換体のいずれも全体にわたって同様の発光スペクトルが得られ、Al置換の有無によらずMnの電子状態はほぼ同一であることが判明した。置換体では1サイクル後も、発光スペクトルがほとんど変化しておらず、充放電前後で電子状態が可逆的に変化していることを示している。一方で、無置換体においては、1サイクル後にMnと酸素間の電荷移動に由来するピーク強度が減少していた。これは、1回の充放電サイクル後は、酸素からMnの電子軌道への電子の飛び移りが減ったことを意味しており、Mnと酸素間の電子軌道の重なりが初期状態よりも小さくなり、Mn-酸素間の結合が弱くなっていることを示唆している。X線回折による結晶構造解析の結果から、1サイクルの充放電によりMn-酸素間の結合が大きく伸縮することが分かっており、軟X線発光分光の電子状態結果を支持している。二次電池電極材料の電子状態の分析にはX線吸収分光などが広く使われているが、軟X線発光分光の電荷移動に由来するピークを調べることで、充放電サイクル特性に関わる情報が得られた。
革新的なリチウムイオン電池材料の開発が望まれる中、今回開発した手法は、サイクル安定性の解明にとどまらず、高エネルギー密度材料についても電子軌道レベルから解析することにより、材料を構成する要素の極めて微小なレベルからの革新的な電極材料開発指針の構築につながると考えられる。
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図2 Mnの発光スペクトル |
今後は、電池を動作させた状態で、元素ごと、電子軌道ごとの詳細な電子状態を解析するオペランド測定を行い、リチウムイオン電池の正極材料や負極材料の充放電機構の真の理解に努める。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
省エネルギー研究部門 エネルギー界面技術グループ
主任研究員 朝倉 大輔、 細野 英司 E-mail:daisuke-asakura*aist.go.jp, e-hosono*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)