国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)健康工学研究部門【研究部門長 達 吉郎】生体ナノ計測研究グループ バスデバン・ピライ・ビジュ 主任研究員、脇田 慎一 総括研究主幹(兼)研究グループ長らと、国立大学法人 香川大学【学長 長尾 省吾】工学部 中西 俊介 教授(兼)工学部長ら、国立大学法人 長岡技術科学大学【学長 新原 晧一】物質・材料系 野坂 芳雄 名誉教授らは、半導体量子ドット(以下「量子ドット」という)と呼ばれる発光性の半導体ナノ粒子の退色機構を解明し、発光を安定化する有効な手法を提案した。
今回の研究では、量子ドットをカバーガラス表面にまばらに固定し、単一量子ドットからの発光を光学顕微鏡で観察した。その結果、励起状態にある量子ドットが電子を放出(オージェ・イオン化)すると、一重項酸素によって酸化されなくなり、発光が安定化することを見いだした。また、一重項酸素捕捉剤を用いれば、オージェ・イオン化していない中性の量子ドットの酸化が抑制されることも明らかにした。これらの成果は、生きている細胞内で個々の分子の働きを研究する一分子生体イメージング技術への貢献が期待される。
これらの成果の詳細はドイツ化学会が発行する雑誌Angewandte Chemie International Edition(英語版)とAngewandte Chemie(ドイツ語版)に2015年3月23日に発表された。
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量子ドットの発光が減少する機構と発光の安定性の改善法 |
生きている細胞内で、核酸やタンパク質などの個々の生体分子を一つ一つ検出し、観察することができれば、より効率よく正確に医薬品を開発したり、病気の原因を突き止めたりすることが可能になる。このような技術は、一分子生体イメージングと呼ばれ、最近、感度が極めて高い顕微鏡の開発により可能になりつつある。しかし、一分子生体イメージングには、まだ解決すべき問題点も多い。核酸やタンパク質などの生体分子は、そのままでは光学顕微鏡で高感度に観察できないため、発光性の色素で化学的に修飾するという方法が採られてきた。しかし、従来用いられてきた有機色素は、光を照射すると短時間で退色する欠点があり、長時間の一分子生体イメージングには適さない。一方、量子ドットは有機色素よりも光安定性に優れているものの、長時間にわたって光を照射すると、退色が避けられないという問題があった。
単一の量子ドットに長時間にわたって光を照射すると、発光強度は徐々に低下し、ついには消失する。この現象は、有機色素の単一分子の発光が一気に消失する現象とは全く異なる。量子ドットの発光が徐々に低下するのは、酸素と反応して非発光性または弱発光性の酸化状態になるためとされていた。そのため、量子ドットの酸化を防止し、安定な発光を実現しようとする試みは、世界中で活発に行われてきたが、これまで成功していなかった。
産総研では、新規発光性ナノ材料の開発と共に、量子ドット発光の安定化技術の開発を行っていた。本研究では、香川大学および長岡技術科学大学と共同で、量子ドットによる一重項酸素の生成と量子ドットの酸化の制御について研究を推進した結果、今回の成果につながった。
この研究は独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費補助金若手研究Bと国立研究開発法人 科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業さきがけの支援を受けた。
CdSe/ZnS型量子ドットを、100 × 100 µm2あたり約100個の均一な密度で、カバーガラス表面に固定した。これを顕微鏡に設置し、波長532 nmのレーザーを照射し、単一量子ドットからの発光強度を観察した(図1A)。発光の早い振動やオンオフの挙動はブリンキングと呼ばれ、単一量子ドットの発光に見られる特有の現象であり、オフの状態はしばしば数秒から数十秒の間続く。ブリンキングはオージェ・イオン化によって生じることが知られている。空気中では、カバーガラス上の単一量子ドットの発光強度は、ブリンキングを伴いながらも長時間にわたって安定していた。一方、カバーガラス上の量子ドットを有機溶媒であるジメチルスルホキシド(DMSO)に浸漬すると、発光強度は急速に減少、消失した(図1B)。また、水中に浸漬しても、同様に発光が減少した。
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図1 カバーガラスに固定し、高強度のレーザー光(532 nm、約500 W/cm2)を照射したときの単一量子ドットの発光の時間変化
(A) 空気中、(B)DMSO中 |
DMSOや水に浸漬すると、励起された量子ドットが、溶存する酸素に効率よくエネルギー移動を起こして一重項酸素を生成し、自らは酸化される。このような反応が繰り返し起こると、非発光性の酸化物が量子ドットの表面に島状に生成し、量子ドットの発光強度を徐々に低下させる。なお、一重項酸素の生成は、特有のリン光(約1270 nm)が観察されることから確認できた。他方、空気中では空気と量子ドットの界面が不均一であるため、一重項酸素の生成と量子ドットの酸化の効率が悪く、発光強度が安定していた。
単一量子ドットからの発光強度は、空気で飽和したDMSO中では急速な減少を示した(図2A)が、窒素ガスで飽和したDMSO中では、その減少は緩やかになった(図2B)。また、一重項酸素と非常に早く反応する一重項酸素捕捉剤である1,4-アミノブタンを、空気で飽和したDMSOに添加したところ、単一量子ドットからの安定な発光が観察された(図2C)。これらの結果は一重項酸素が、単一量子ドットの安定した発光を妨げていることを示している。
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図2 カバーガラスに固定した単一量子ドットからの発光の時間変化
(A)空気で飽和したDMSOに浸漬、(B)窒素で飽和したDMSOに浸漬、(C)空気で飽和し、濃度100µMの1,4-ジアミノブタンを添加したDMSOに浸漬。 |
単一の量子ドットにレーザー光を照射すると、オージェ・イオン化による特有のオン・オフを伴う発光を示す。ところが、それぞれの「オフ」の後の発光強度は「オフ」になる前とほとんど同じレベルに回復していた(図3)。量子ドットは発光のオフの間オージェ・イオン化された状態にあると考えられるが、その間に発光強度の減少が見られないことから、オージェ・イオン化された量子ドットは酸化されないことを示している。
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図3 カバーガラスに固定し、空気で飽和したDMSO中に浸漬した単一量子ドットの発光強度の時間変化
発光のオフが続いた後、発光強度が回復し、オージェ・イオン化が発光を安定化に寄与していることを示す。 |
今後は、いろいろのナノ材料からの間断のない発光を得ることを目的とし、電荷キャリアの緩和、オージェ・イオン化、表面欠陥、活性酸素の生成、酸化の間の関係を系統的に明らかにするため、他のナノ材料についても研究を進める予定である。また、一分子レベルで間断のない発光に基づく生体イメージングを実現するため、半導体、有機材料、生体分子などを組み合わせたナノ生体複合体の開発を検討する。
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
健康工学研究部門 生体ナノ計測研究グループ
主任研究員 バスデバン・ピライ・ビジュ E-mail: