独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)生産計測技術研究センター【研究センター長 坂本 満】生化学分析ソリューションチーム 宮崎 真佐也 研究チーム長、山下 健一 主任研究員らは、タンパク質などを対象として単結晶を1個だけ得るための技術を開発した。
この技術は、液滴が小さくなると内部の液体が動きにくくなり、宇宙空間など微小重力下での挙動に類似してくることに着目して開発された。このような、液体が動きにくい状態では、物質は液体によって運ばれることがなくなり、単純拡散によってのみ移動すると見なせる。これまで微小重力下でなければ実現しないと考えられてきた拡散律速による結晶成長を、この技術によって達成できた。さらに、この技術による結晶化に特有の現象を盛り込んだ理論式により、適した液滴の大きさを計算できる。この技術は、タンパク質の立体構造解析をより簡単にし、これまで結晶化自体が難しかったタンパク質の立体構造解析にも道を拓くことから、生命現象の分子レベルでの理解や医薬品開発等の産業応用への貢献が期待される。
本成果は2012年3月21日、Chemical Communications誌にオンライン掲載された。
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図1 従来法(バッチ法)と本技術による単結晶のでき方の違い
本技術では、微小液滴の大きさが小さくなるにつれ、液滴1個あたりに生成する結晶の数が少なくなる。
欄外の数値は微小液滴の体積(単位は、ナノリットル(nL))
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結晶構造解析によりタンパク質の立体構造を知ることは、構造生物学における最も有効な手段の1つであり、生命現象の分子レベルでの理解や、医薬品開発に代表される産業応用に至るまで、幅広い分野の基盤的知見である。近年、放射光の利用や機器の発達により、小さな結晶であっても結晶構造解析を行えるようになってきた。一方で、複数の単結晶が合体したり、密集したりするなど、結晶が重なり合うと解析が行えないという問題点は解決できていない。つまり、大きな単結晶を作成することよりも、1個だけ、または離ればなれの単結晶を得ることのほうが、より重要になってきている。
これまで、宇宙環境を利用した単結晶作成の研究が行われてきている。微小重力下では、液体の密度差対流が起こらないため、液滴内部ではマランゴニ対流だけが起こる。そのような、特殊な物質の移動環境では、拡散律速によるタンパク質の結晶成長が可能となるため、一般的に、宇宙で得られる単結晶は大きくて結晶格子の完全性が高い。宇宙という環境は、結晶成長にとってとても好都合ではあるが、簡単に行けるわけでもなく、実験の時間も限られる。シミュレーションや地上での微小重力代替環境のような、低コストで扱いやすい結晶成長法が望まれている。
産総研は、これまでにマイクロ流体技術を利用した様々な研究開発を行ってきており、その中の1つとして、微小液滴に関する研究を行っている。マイクロ流体技術により、狙った大きさの液滴を均一性高く、大量に作成できる。微小液滴は、特徴的な内部流体挙動を示すことが知られている。すなわち、強い表面張力により内部の流動は、密度差によって駆動される対流ではなく、マランゴニ対流が支配的となる。今回、地上での微小液滴の内部流体挙動が、微小重力下の液滴(必ずしも「微小」ではない)の内部流体挙動に類似していることに着目し、微小液滴を用いて、結晶成長に関する研究を行った。同時に、内部に1個だけ結晶を成長させるための液滴の大きさの計算法についても研究を行った。
なお、本研究開発は、独立行政法人 科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)研究領域「ナノ科学を基盤とした革新的製造技術の創成」研究課題「マイクロ空間場によるナノ粒子の超精密合成」の一環として行われた。
今回、微小液滴の調製には、図2に示したマイクロリアクターを用いた。このマイクロリアクターは、3種類の溶液(タンパク質溶液、沈殿剤溶液、フッ化物オイル)を合流させて微小液滴とするチップ部分と、その微小液滴を貯蔵するキャピラリー部分から構成されている。このようなマイクロリアクターを用いて、直径130、200、360、500 µmの4種類の大きさに真球のソーマチンというタンパク質の微小液滴をキャピラリー部分に数百個ずつ調製した。このキャピラリー部分だけを取り外し、両端を封止後、4℃の環境下に静置した。数時間後、各液滴の中の結晶成長を確認した(図1)。360 µm以下の液滴では、液滴1個あたり、およそ1個の結晶が生じていた(表1)。これらの結晶成長の詳細な解析を行ったところ、360 µm以下の液滴では、たった1つの結晶が1つの液滴中に発生し、その結晶成長は拡散律速であった。
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図2 微小液滴調製用マイクロリアクターの写真
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表1 大きさの異なる微小液滴内に生じた結晶の個数
結晶の個数は「平均±標準偏差」で表記している
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微小液滴内では内部対流が抑えられ溶解しているタンパク質の移動は単純拡散だけであること、1つの液滴中に1個の結晶が生じ、拡散律速によって成長し結晶となること、の2点を基に理論的な検討を行い、1個の結晶を得るために適した液滴サイズを求める計算式を得た。この理論的検討では、液滴の中心に結晶が生じると仮定し、フィックの第一法則を用いた物質収支式を立て、それを解くために前述の結果を基とした近似式などを導入した。その結果、あるサイズより小さい液滴では、1個の液滴中に1個の単結晶が成長するという結論を得た。そのサイズRc(半径)は、下記の式で示される。
ここで、qは結晶成長によって溶液中からタンパク質が減っていく速度、C0はタンパク質の初期濃度、Dはタンパク質の拡散係数である。この式はタンパク質に限らず、結晶化したい物質の拡散係数と初期濃度、結晶化に要する大まかな時間が分かれば、汎用的に適用できる。
この式に、ソーマチンの結晶成長実験の条件を代入したところ、表1で示した結果とおおむね一致した。ただし厳密には、サイズの計算値は、実験データより若干大きめであったが、これは、結晶がいつも液滴の中心に生じるなどの計算を簡略にするための仮定と実際の結晶成長との違いによる。
この技術による単結晶調製では、最初に1個の結晶核が発生した後、結晶が成長するにつれ、その結晶の周辺部においてタンパク質濃度が薄くなるという濃度勾配が生じ、制御された過飽和が解消されると考えられる。逆に、上記サイズを超えた液滴では、タンパク質の高濃度部分が成長中の結晶から離れた場所に維持され、結果として2個目の結晶核が発生し結晶成長する可能性が生じる。
今後は、様々なタンパク質、特に針状の結晶となるものなど、従来法では難しかったタンパク質の結晶化を行う。またキャピラリーの中の微小液滴内に単結晶が得られるので、そのまま結晶を取り出さないで、X線回折測定ができるため、実際にそのような測定を行う。
さらには、本技術は、結晶の成長過程の制御により結晶1個だけの生成させるものであるが、何らかの結晶核発生制御技術と組み合わせると、より短時間により計算値に近い大きさの液滴で結晶が得られると期待され、そのような技術との融合による高度化を目指す。