独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)電子光技術研究部門【研究部門長 原市 聡】強相関エレクトロニクスグループ 澤 彰仁 研究グループ長、Xiang Ping-Hua 産総研特別研究員、井上 公 主任研究員らは、国立大学法人 東京大学【総長 濱田 純一】(以下「東大」という)大学院工学系研究科付属 量子相エレクトロニクス研究センター 岩佐 義宏 教授、川崎 雅司 教授(両教授とも、独立行政法人 理化学研究所【理事長 野依 良治】基幹研究所 強相関量子科学研究グループ チームリーダー兼任)らと共同で、わずかな電圧をかけることによって
強相関電子材料のマンガン酸化物を絶縁体から金属へと変化させることに成功した。
半導体エレクトロニクスの高度化はシリコン素子の微細化と集積化技術によって支えられてきたが、その微細化は物理的限界に近づきつつあり、素子構造の工夫や、新材料を用いたトランジスタなどにより素子の高性能化を持続する技術、いわゆる「Beyond CMOS」の開発が期待されている。強相関電子材料の電子相転移を電圧で制御することを利用した新しい原理によるトランジスタはモットトランジスタと呼ばれ、Beyond CMOSの有力な候補の一つである。今回の成果は、モットトランジスタ開発に道筋をつけるものである。
本成果は、ドイツの科学誌Advanced Materials(Vol. 23, pp.5822-5827 (2011))に掲載された。
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図1 強相関電子材料をチャンネルに用いた電界効果トランジスタの構造(左)とゲート電圧 0Vと2Vを印加して測定した強相関電子材料チャンネルの電気抵抗の温度依存性(右)。
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情報化社会の発展により、コンピューターや携帯機器など情報機器が処理する情報量は爆発的に増加している。そのため、情報を処理する半導体素子の高速化、高集積化が求められており、半導体素子の微細化により、この要求に応えてきた。しかし、半導体素子の微細化が10nm以下になると原理的に素子の高性能化が不可能になることが予想されている。そのため、情報化社会のさらなる発展に必要とされる素子の高性能化をさらに進めるため、素子構造を工夫する、あるいは新しい材料を用いてトランジスタを作製する等、いわゆるBeyond CMOSの開発が期待されている。
モットトランジスタと呼ばれる強相関電子材料をチャンネルに用いたトランジスタは、その動作原理が電子相の電界制御に基づくので、素子をナノメートルスケールに微細化しても、従来のシリコン素子で生じる諸問題が顕在化しないと考えられており、Beyond CMOSの有力候補として世界中で研究開発が展開されている。モットトランジスタが実現すれば、半導体エレクトロニクスが微細化限界に達した後も電子素子のさらなる高性能化をもたらし、低消費電力化にも貢献すると期待されている。
産総研は、強相関電子材料を用いた新原理エレクトロニクスの実現を目指した研究開発を行っており、これまでに強相関酸化物を用いた抵抗変化不揮発性メモリーなどを開発してきた。現在、メモリーに続く強相関酸化物の新しいデバイス応用として、モットトランジスタの研究開発に取り組んでいる。
半導体の電界効果トランジスタと同程度のゲート電圧で動作するモットトランジスタを開発するためには、より小さな電荷密度の変化により金属‐絶縁体転移を示す新しい強相関電子材料の開発と、効率良く電荷を蓄積できるトランジスタ構造の開発が必要となっていた。
今回、強相関電子材料の中でも比較的小さな電荷密度の変化により金属‐絶縁体転移を示すカルシウムマンガン酸化物CaMnO3に着目し、CaMnO3薄膜に圧縮歪を与えることで、金属‐絶縁体転移が起きる電荷密度を低下させることを試みた。
なお、この研究は、独立行政法人 科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST) 研究領域「次世代エレクトロニクスデバイスの創出に資する革新材料・プロセス研究」研究課題名「機能性酸化物を用いたナノ界面相転移デバイス開発」(平成19~24年度)の一環として行われた。また、電気二重層トランジスタの開発については、総合科学技術会議により制度設計された最先端研究開発支援プログラム「強相関量子科学」(平成21~25年度)により、独立行政法人 日本学術振興会を通した助成により行われた。
モットトランジスタの基本構造は、通常の半導体の電界効果トランジスタと同じであるが、チャンネルに半導体ではなく強相関電子材料を用いることが特徴である。モットトランジスタは、ゲートに電圧をかけて、強相関電子材料のチャンネルに電子または
ホールの電荷を蓄積し、強相関電子材料中の電荷密度を変化させて金属‐絶縁体転移を誘起することで、スイッチ機能を実現する。
図2にCaMnO3のカルシウム(Ca)を一部セリウム(Ce)で化学置換することにより、電子ドープを行ったCa1-xCexMnO3薄膜の電子相図を示す。薄膜を作製する際に使用する基板の種類を変えることで、薄膜に圧縮歪または引っ張り歪を与えた。図中の赤で示した領域は金属相であり、その周辺の青もしくは緑の領域は絶縁体相である。この図から、圧縮歪を受けた薄膜は少ないCe置換で絶縁体相から金属相へ変化することがわかる。Ceの置換量の2倍の値は、CaMnO3の一分子当たりの電子のドープ量に対応することから、圧縮歪を受けた薄膜は、歪を受けていない薄膜に比べて半分以下の電子をドープすることで、絶縁体相から金属相に変化することがわかる。この結果は、圧縮歪を受けたCaMnO3薄膜をモットトランジスタのチャンネルに用いることにより、絶縁相から金属相に変化するのに必要な電子の蓄積量を大幅に低減できることを示している。
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図2 カルシウム(Ca)を一部セリウム(Ce)で化学置換することにより、電子ドープを行ったCa 1-xCe xMnO 3薄膜の電子相図。横軸はCeの置換量、縦軸は作製した薄膜の基板面に垂直方向の 格子定数を基板面に平行方向の格子定数で割った値。
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図3に今回開発した圧縮歪を受けたCaMnO3薄膜を用いたモットトランジスタの模式図を示す。ゲート電圧をかけて効率的にチャンネルに電荷を蓄積するために、ゲート絶縁層にイオン液体(DEME-TFSI)を用いた電気二重層トランジスタ構造を採用した。ゲートにプラスの電圧をかけると、陰イオン(TFSI-)がゲート電極の表面に移動し、陽イオン(DEME+)がチャンネルの表面に移動する。陽イオンがチャンネルの表面を覆うことにより、負電荷である電子がチャンネル内に効率的に蓄積される。その結果、図1に示すように、ゲート電極に2Vの電圧をかけると、圧縮歪を受けたCaMnO3薄膜のチャンネルが絶縁体から金属へと変化した。
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図3 圧縮歪を受けたCaMnO3薄膜を用いた電界効果トランジスタ(モットトランジスタ)の模式図。
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図4に室温で測定したドレイン電流のゲート電圧に対する変化を示す。最初、ゲートに電圧をゼロからプラス方向に変化させると、+1V付近からドレイン電流が急激に増加する。これは、チャンネルが絶縁体から金属に変化して電気抵抗が小さくなったことを示す。その後、電圧をゼロに戻しても大きなドレイン電流が保持され、マイナス方向に電圧を変化させると、-1V付近からドレイン電流が急激に減少する。その後、ゲート電圧をマイナス電圧からゼロ電圧に戻すと、ドレイン電流はほぼ初期の値に回復する。この結果は、ゲート電圧がゼロの場合のドレイン電流の値が、ゲートにかけた電圧の向きや大きさなどの履歴によって変化し、チャンネルの電気抵抗の変化がそのまま保持されること(不揮発性)を示している。この特性は、今回開発したモットトランジスタが不揮発性メモリーとして応用できることを示している。
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図4 室温で測定したドレイン電流のゲート電圧に対する変化
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今回開発したモットトランジスタは、2V程度の小さなゲート電圧によって、強相関材料のマンガン酸化物を絶縁体から金属へと変化させることができ、さらに室温において素子の電気抵抗を不揮発にスイッチさせることも可能である。この成果は、Beyond CMOSの候補として期待されているモットトランジスタ開発に道筋をつけるものであり、電子素子の高性能化・低消費電力化に貢献できると期待される。
今後は、より低濃度の電荷蓄積により金属‐絶縁体転移を示す強相関電子材料の開発、ゲート絶縁層の固体化、微細加工技術の開発など、実用化に向けた研究開発を展開する予定である。