独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)を拠点とする「光ネットワーク超低エネルギー化技術拠点」(以下「産総研拠点」という)においてネットワークフォトニクス研究センター【研究センター長 石川 浩】光信号処理システム研究チーム 並木 周 研究チーム長、谷澤 健 特別研究員は、産総研拠点協働機関である株式会社 トリマティス【代表取締役 島田 雄史】(以下「トリマティス」という)と共同で、マイクロ秒オーダーで高速動作する光可変分散補償技術を開発した。
光ファイバー伝送の阻害要因である波長分散(以下「分散」という)を自動で取り除く技術である可変分散補償は、従来技術では原理的に高速動作が不可能であった。これに対して産総研は新しい原理に基づく独自のパラメトリック可変分散補償方式を提案してきたが、このほど、同方式にトリマティスの小型波長可変レーザーの高速制御技術を適用することによって、従来技術の100分の1以下であるマイクロ秒オーダーの応答時間を達成した。この成果は、産総研が推進する将来の高精細映像情報を極低エネルギーで転送するダイナミック光パスネットワーク技術開発に貢献する。
なお、この技術の詳細は、2010年9月15日発行のOptics Lettersにて誌上発表された。
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図 ダイナミック光パスネットワークにおけるパラメトリック可変分散補償装置の動作概要
高速な可変補償の実現により光パスの切り替えに即座に追従する補償が可能となる。
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次世代の大容量映像情報を低エネルギーで伝送する技術として、ダイナミック光パスネットワークが注目されている。ダイナミック光パスネットワークでは、光スイッチの切り替えによって時々刻々と変化する光ファイバー伝送路の状態を最適化する光パスコンディショニングが不可欠である。特に、分散補償は広帯域(高速)の光伝送に必要不可欠であり、これまでにさまざまな原理の可変補償技術が開発されてきた。しかし、これら従来型の補償技術では、ミリ秒以下の高速可変動作が不可能であるため、ダイナミック光パスネットワークにおいては、光スイッチの切り替えに伴うガードタイムが数ミリ秒となり、柔軟なネットワーク運用が制限されるという問題があった。
産総研は、ダイナミック光パスネットワークにおける光パスコンディショニング技術として、高速・広帯域動作が可能なパラメトリック可変分散補償方式を提案している。高速動作に関するポテンシャルは、原理的に、温度や歪みの印加を可変原理とする他方式の追従を許すものではなく、従来方式と比較して、数100分の1から数1000分の1の応答時間を実現できる。これまで、マイクロ秒オーダーでの高速可変補償動作を目指して、小型波長可変レーザーの高速制御と高非線形ファイバー(古河電気工業株式会社より提供)を用いるパラメトリック可変分散補償装置の開発に取り組んできた。今回、この補償装置を用いて、距離の異なる2つの光ファイバー伝送路が光スイッチにより切り替わる伝送において、125 マイクロ秒のガードタイムで高速・可変に分散補償伝送することに成功した。このような短いガードタイムでの可変分散補償伝送は、ミリ秒以上の応答時間である従来型の補償技術では不可能である。開発した高速パラメトリック可変分散補償装置単体の応答時間は、小型波長可変レーザーの波長切り替え速度から見積もられ、10マイクロ秒以下と、従来技術のおよそ100分の1以下を達成している。
なお、本研究開発は、文部科学省 科学技術振興調整費「先端融合領域イノベーション創出拠点の形成」プログラム「光ネットワーク超低エネルギー化技術拠点(平成20~29年度)」による支援を受けて行ったものである。
パラメトリック可変分散補償方式の応答速度は、波長変換のために高非線形ファイバーの四光波混合を励起する光(以下、ポンプ光)の波長切り替えの応答速度に依存する。産総研は、およそ10マイクロ秒程度で波長の切り替えが可能な小型波長可変光源の高速制御を開発し、これを用いた高速パラメトリック可変分散補償装置を開発した。図1に産総研の開発した高速動作可能なパラメトリック可変分散補償器の構成と動作原理を示す。信号光(周波数ω0)は、前段の波長依存分散媒質を伝搬後に、高速・小型波長可変光源からのポンプ光(周波数ωp)とともに高非線形ファイバーを伝搬する。縮退四光波混合により、ポンプ光の周波数ωpを変えることで、ω1=2ωp-ω0の関係を満たす周波数ω1の変換光を得ることができる。光フィルターで変換光のみを選択的に取り出し、後段の波長依存分散媒質を伝搬することで、変換光は、変換波長に応じた分散を受ける。この構成が補償する分散は、ω0の周波数における前段の分散媒質の分散と変換後の周波数ω1における後段の分散媒質の分散の差となる。高速・小型可変光源を用いることで、ポンプ光の波長の切り替え、つまり、分散の可変補償を高速に行うことが可能となる。
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図1 パラメトリック可変分散補償装置の構成と動作原理
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この技術を用いて、距離の異なる2つの光ファイバー伝送路を通った光信号が、光スイッチで切り替わり交互にパラメトリック可変分散補償装置に入射する場合に、それぞれの伝送光ファイバーの異なる分散を可変補償する伝送実験を行った。図2に伝送実験の概要を示す。光スイッチによる経路の切り替えで、異なる分散による影響を受けた信号光が交互にパラメトリック可変補償装置に入射する。実験では、パラメトリック可変分散補償装置の波長依存分散媒質として、前段に9.31 km、後段に7.82 kmの分散補償ファイバー(DCF)を用いた。高速波長可変レーザーからは、2つの波長のポンプ光が光スイッチに同期して交互に出力され、信号光とともに高非線形ファイバーを伝搬し、信号光が波長変換される。変換光は、後段の分散補償ファイバー(DCF-b)を伝搬することで、それぞれの波長に応じて可変分散補償される。ポンプ光の波長は、両伝送路の分散を適切に補償するようにそれぞれ設定した。
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図2 パラメトリック可変分散補償装置によるスイッチング光信号のアクティブ分散補償伝送実験概要(DCF:分散補償ファイバー、HNLF:高非線形ファイバー)
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伝送状態を評価するために分散補償後の光信号のビットエラーレート測定を行った。このように、光スイッチによる切り替えを行う場合、エラーフリー伝送の実現には、光スイッチの応答時間とパラメトリック可変分散補償装置の応答時間、そして、ビットエラーレート測定装置の測定開始に要するクロック同期時間の合計より長いガードタイムを設定する必要がある。光スイッチの応答時間が300 ナノ秒、開発した高速制御を用いた波長可変レーザーの応答時間がおよそ10マイクロ秒、ビットエラーレート測定装置のクロック同期時間がおよそ100マイクロ秒であることから、ガード時間を125マイクロ秒に設定して測定を行った。図3のとおり、ビットエラーレートが<10-9となるエラーフリーの良好な伝送特性をそれぞれのルートにおいて確認した。また、スイッチングを行わない状態での測定も参照データとして取得し、これらの間に大きな相違がない、つまり、パラメトリック可変分散補償装置を用いて高速な可変分散補償ができることを確認した。開発した高速パラメトリック可変分散補償装置単体の応答時間は、高速・小型波長可変レーザーの波長切り替え速度から見積もられ、およそ10マイクロ秒程度であった。
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図3 スイッチング光信号のビットエラーレート測定:(a)ルート1、(b)ルート2
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ビットエラーレート特性がスイッチングの有無でほとんど変化しないことは、125マイクロ秒のガードタイムでの可変分散補償の実現を示している。
今回の成果で、産総研独自の新しい可変分散補償技術の原理的な優位性が示された。今後は、波長可変光源の高速化によるパラメトリック可変分散補償のさらなる応答速度の向上と、より多数の光パスが複雑に切り替わる状況での実証を行う予定である。