土石流発生地域の地質は、山本(1960)、豊原ほか(1988)に報告されています。 九州の四万十帯の知見(例えば、斎藤ほか, 1996)、本地域付近の 長谷ほか(1997)の年代データ、永尾ほか(1999)の火山岩類の対比を基に検討すると、土石流発生地域は、四万十帯白亜紀付加コンプレックスの上に、鮮新世の肥薩火山岩類の凝灰角礫岩(-2.5Ma)、安山岩(2.5-2.0Ma)が覆っていると判断できます。 この安山岩は、本地域周辺でテーブル状の特徴的な平坦面(写真3)を作っていて、"洪水安山岩"(永尾ほか, 1995)と呼ばれているものです。
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写真3 崩壊地付近から南方を望む。矢印が"洪水安山岩"のつくる平坦面。 |
今回の土石流災害の要因となった斜面崩壊は水俣川水系宝川内川支流集川の右岸側斜面で発生しました。 第2図に示すように、集川は南北に細長い集水域を持ち、上流域には山頂付近およびそれより下位の 計2段に比較的広い緩斜面域を持ちます。緩斜面域の周辺は急傾斜の斜面が分布し、特に南東側および西側には、侵食の進んだ、比較的規模の大きい、古い地すべり・崩壊地形が認められ、滑落崖が急斜面を形成しています。 集川はこれら地すべり・崩壊地形に挟まれた南北に細い高まりに深い侵食谷を形成し、南方向に流下しています。今回の崩壊はこの集川の下刻によって形成された急傾斜の右岸側斜面で発生しました。 崩壊地は、河床の勾配が下流側へ急になる遷急点の直下の急斜面に位置し、いわば侵食・崩壊の最前線に相当すると考えられます。 なお集川周辺には、地質構造に起因すると考えられる、ほぼ東西方向のリニアメントが数本認められます。 これらのリニアメントは尾根の傾斜の不連続、および直線状の谷地形で特徴づけられます。
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図2 崩壊地周辺の地形判読結果
(基図は国土地理院発行1:25,000地形図「水俣」を使用しました)。 |
集川では、崩壊地周辺より上では肥薩火山岩類が分布しますが、崩壊地の下では、四万十帯の白亜紀付加コンプレックスと肥薩火山岩類が複雑に分布し、両者の断層関係が1カ所と、不整合関係が2カ所観察できます(図3)。基盤の四万十帯付加コンプレックスには、付加体形成後の断層運動によってできたと考えられる節理が発達します。 肥薩火山岩類にも断層は発達します。中流部には完全に崩壊していない凝灰角礫岩からなる 小規模な地すべり体が沢沿いに残っています。今後注意が必要と思われます。
集川の川沿いや、集落の下で土石流が土砂を堆積したところには、基本的に岩石(砂礫)だけが存在し、泥がほとんどありません。そして、集川沿いで岩石の堆積したのは河床とその脇に限られます。 小尾根が張り出した部分(写真4)を2箇所で乗り越えていますが、上流側では乗り超えた部分に土石流起源の岩塊が残っているものの、家屋が流出した下の部分には岩塊はほとんど無く、水の流れた痕がはっきりと残っていました。 泥分の多い土石流の場合、岩のまわりの泥水の比重が大きくなって、岩を浮かせながら流れ下ります。 この土石流の場合、基質の部分が泥に乏しく、比重も水に近く、岩が浮く状態ではなかったことから、川沿いだけに土石流の岩石が堆積したものと考えられます。
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写真4 集地区を上流側から見たところ。
白矢印は土石流本体が流れた方向、青矢印は主に水が流れた方向。
A, Bの位置は写真1に対応。 |
図3 崩壊地及び土石流氾濫域のルートマップ。
(クリックで拡大表示)
崩壊地の地質は、上部が柱状節理の発達する安山岩溶岩、中部が凝灰角礫岩、下部は安山岩溶岩(自破砕様の角礫組織有)からなっています。 残留する崩壊土砂には巨大な安山岩岩塊が多く含まれ、一部には柱状節理がみられることから、今回の災害は、主に上部の安山岩溶岩の崩壊によって引き起こされたと考えられます。
また今回の調査では、凝灰角礫岩と下位の安山岩との境界付近から湧水が確認されました。 詳しい分析はこれからですが、現地での分析ではその水は地中での滞留時間が短そうだという推測がなされました。 これらのことから今回の崩壊は、豪雨によって短時間に極めて多量の雨水が山体に浸透し、凝灰角礫岩とその上位の安山岩溶岩の境界あるいはそれ以上まで、地下水で飽和された際、粘土化し透水性の低い凝灰角礫岩と安山岩溶岩との境界付近あるいは凝灰角礫岩の上部をすべり面として崩壊が発生したと考えられます。
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写真5 崩壊地の写真及びスケッチ。
(マウスポインタを画像に載せると、解釈スケッチが出ます。) |
1997年7月10日の出水市針原川土石流では深層風化した山体が大きく崩壊し、多量の泥分を含む泥水が岩塊と一緒になって流れ下りました。 しかし、今回の集川では土石流堆積物に泥がほとんどありません。この違いは、今回の土石流が崩壊地上部の、節理は発達するが比較的新鮮な安山岩の崩壊によって引き起こされたもので、集川の河床にあった礫を含んで流れ下ったものであったことが考えられます。
また、今回の豪雨では、集地区と同様の地質のセッティングで発生したと推測される斜面崩壊が、近傍で頻繁に認められました。深川新屋敷もそのひとつです。 これは安山岩に節理があって雨水を通しやすいのに比べて、凝灰角礫岩が水を通しにくく、雨水がその境界を流れて地表に噴出し、崩壊を引き起こしたと考えられます。